当サイトでは、利便性の向上と利用状況の解析、広告配信のためにCookieを使用しています。サイトを閲覧いただく際には、Cookieの使用に同意いただく必要があります。詳細はクッキーポリシーをご確認ください。
同意する- HOME
- スポット
スポット

現在の検索条件 |
|
---|

-
- エリア
- 出島・ベイサイド
鎖国時代、西洋に開かれた唯一の窓口
国指定史跡「出島和蘭商館跡」 徳川幕府の命により築造された人工の島、「出島」。 1636年に完成し、はじめはポルトガル人が居住、1641年にオランダ商館が置かれ、その後約200年間、日本で唯一西洋に開かれていた貿易の窓口でした。明治期にその役割を終えると、周囲の埋立てが進み独特な扇型は姿を消してしまいましたが、1951年、長崎市が出島の復元整備事業に着手しました。 現在までに…
-
- エリア
- 風頭・寺町・中島川
土佐の浪人 坂本龍馬が同志と組織した日本初の商社「亀山社中」跡に建つ記念館
「亀山社中」は、慶応元年(1865年)薩摩藩や長崎の豪商小曽根家の援助を受けて、坂本龍馬とその同志により設立された結社です。徳川幕府の倒幕を目的とした活動を行うとともに、船の回送や運輸業、銃器のあっせんなどの商号活動も行い、「日本初の商社」といわれています。 幕末頃、亀山で「亀山焼」という焼物が一時焼かれていましたが廃窯となり、その窯ではたらいていた人々の住居跡を根城としていました。亀山社中の…
-
- エリア
- 東山手・南山手
孔子廟は、色あざやかな中国華南と華北地方の建築様式が合体した中国本廟の伝統美きわまる彩り豊かな極彩色の廟宇です。
元来、孔子廟とは、孔子の遺品を納め祀ったのが始まりで、明治26年(1893)中国清朝政府と華僑によって建造されました。 琉璃瓦・青白石製欄干・龍紋様の御道石・孔子像、72賢人石像などはすべて中国から取り寄せられたものです。併設の中国歴代博物館は、2階には北京故宮博物院提供の宮廷文化財を、3階には中国歴史博物館提供の出土文化財を一堂に展覧しています。
-
- エリア
- 浦上・平和公園
原爆の脅威と平和の尊さを体感できる施設
昭和20年(1945)8月9日午前11時2分。 広島原爆投下から3日後、長崎市内の浦上地域上空で原子爆弾が炸裂し約15万人の人々が命を落としました。 この資料館では被爆の惨状をはじめ原爆が投下されるに至った経過、被爆から現在までの長崎の復興の様子、核兵器開発の歴史、そして核兵器のない平和希求までがストーリーを持たせわかりやすく展示されています。 被爆直後と現在の長崎の風景写…
-
- エリア
- 出島・ベイサイド
長崎から世界へ発信する平和の玄関口
長崎出身のさだまさし氏の呼びかけで全国から集められた募金によって建立。名誉会長にグラフィックデザイナーの原田泰治氏を迎えボランティアスタッフが運営。国内外に広く公募した企画展やコンサート会場として利用されている。 「平和の素晴らしさを身近に感じられること」を展示の基本としているため、一般の人が写真展や絵画展を開くことも可能だということが何よりの魅力。平成13年(2001)4月の開館から現在まで、…
-
- エリア
- 新大工町・鳴滝・諏訪神社
長崎諏訪の杜によみがえる海外交流の歴史と文化
江戸時代、長崎奉行所立山役所が置かれていた場所に建物を復元し、現代的な博物館としての機能も共存させたユニークな博物館。 近世長崎の歴史文化に関わる歴史資料、美術工芸品などの貴重な資料を観ることができる「海外交流史」をテーマとした博物館です。 映像や体験型の展示を通して、子どもから大人まで楽しみながら知ることができます。
-
- エリア
- 浦上・平和公園
永井隆博士の精神を宿す記念館
医学博士であり敬虔なカトリック信徒だった永井隆博士は、長年取り組んでいた放射線の障害を受け、被爆前にすでに白血病を患い余命3年の宣告を受けていました。原爆によって愛妻を亡くし、自分もまた被爆による白血病と戦いながら死の直前まで原子病の研究と発表を続けた博士。寝たきりとなってからは如己堂(にょこどう)と名付けた2畳一間の部屋に子ども達と住みそこで原爆、人間、愛、平和に関する多数の著書を執筆し、余…
-
- エリア
- 出島・ベイサイド
東洋有数のスペイン美術と長崎ゆかりの美術を収蔵。自然と調和した憩いの美術館。
「長崎水辺の森公園」の一角にある自然と調和した美術館。 展示室以外は無料スペースで、外光に満ちたエントランス、心地よい風が通り抜ける回廊、水面を臨むカフェ、長崎港が一望できる屋上庭園など、建築・照明で数々の賞を受賞したこの空間は、訪れる人々に新しい発見と創造の喜びを提供しています。 収蔵品の特色は長崎ゆかりの美術とスペイン美術。 ピカソやダリなど収蔵するスペイン美術のコレクション…
-
- エリア
- 稲佐山・飽の浦・福田
長崎造船所の1世紀半にわたる歴史が学べる史料館
【お知らせ】 2020年4月1日から建物工事のため引き続き休館いたします。 この史料館は、長崎造船所が日本の近代化に果たした役割を永く後世に残そうと、木型場として建設された建物を1985年10月に史料館として開設したものです。館内は13コーナーにわかれ、1857年に長崎造船所前身の長崎鎔鉄所建設に着手されたときから現在までの技術の進歩を物語る品々や写真など900点余り…
-
- エリア
- 東山手・南山手
居留地時代に建設された多くの私学に関する歴史的資料を展示している国指定重要文化財
重要文化財東山手十二番館は、1868年(明治元)に建設されたもので、竣工後ほどなくロシア領事館が置かれました。その後アメリカ領事館やアメリカのメソジスト派(婦人外国伝道協会)の宣教師などの住宅として使われました。 1941年(昭和16)に活水学院に譲渡されましたが、1976年(昭和51)に建物は長崎市に寄贈されました。 建築の基本形式は初期洋風建築の形式ですが、正面中央の幅の広い廊下と3つの大きな…
-
- エリア
- 新大工町・鳴滝・諏訪神社
日本近代医学の父・シーボルトのすべてを一同に集めた資料館。
場所は、シーボルトゆかりの鳴滝塾隣接地にあります。建物の外観は、 オランダ・ライデン市にあるシーボルト旧宅をイメージ化した赤レンガ洋館づくりの3階建てです。 1階ではビデオでシーボルトの生涯を紹介しており、2階は6つのコーナーに分けた常 設展示室になっていて全国からシーボルトに関する資料約1,500点を収集し、うち216点を常設展示しています。年代順にシーボルトの生涯を誕生から死後に至るまで紹介し…
-
- エリア
- 浦上・平和公園
考古資料や民俗歴史資料を中心に展示してある資料館です。また長崎と中国、ポルトガルとの関係資料も併せて展示しています。
長崎市には、海外文化の影響を受け、市民生活の中に溶け込んで今日まで伝承されている風俗習慣や年中行事などの民俗資料をはじめ、長崎特有の歴史資料が数多く残されています。 長崎市歴史民俗資料館は、これら長崎の歴史資料及び民俗資料を収集・保存し、調査研究を行い来館者に長崎の歴史の特異性とともに民俗文化財についての知識と理解を深めていただくことを目的として昭和53年に設置されました。 本資料館には、…
-
- エリア
- 外海
ド・ロ神父が貧しい人々の救済のために1885(明治18)年に建て、鰯網工場や学校…
明治12年(1879)外海地方の主任司祭として赴任してきたフランス人宣教師マルコ・マリ・ド・ロ神父は、深い人類愛の精神とすばらしいフロンティア精神をもって、外海の人々の魂と肉体の救いのため生涯を捧げた。ド・ロ神父記念館は、神父の遺徳をしのび、すばらしい業績を顕彰するために設けられたものだ。 記念館は明治18年(1885)に神父自らいわし網工場として設計、施工したものでその後、保育所として使用され…
-
- エリア
- 風頭・寺町・中島川
コルベ神父が選んだ彦山斜面に建つ記念館
アウシュビッツ強制収容所で殉教し、聖人となったポーランド出身のコルベ神父は、昭和5年(1930)、来崎。昭和6年(1931)、無原罪の園修道院を開設、5年後に修道院内に聖母の騎士学園の前身である「本河内神学校」を開校した。 館内中央には、当時のままに復元されたコルベ神父が使用していた机やイスを配置した「聖コルベの部屋」があり、その部屋を取り囲むように、コルベ神父着用の祭服、典礼書、帽子、手…
-
- エリア
- 浦上・平和公園
原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記し、恒久の平和を祈念するための施設として、被爆地である長崎に設置するものです。
原子爆弾による犠牲者の追悼し、恒久の平和を祈念する施設です。 館内では死没者を追悼するほか、遺影や手記をはじめとした平和に関する様々な情報を閲覧できます。
-
- エリア
- 深堀・香焼・伊王島・高島
我が国初の洋風無筋コンクリート造の建物で灯台に関する資料を展示しています。
伊王島灯台同様、英国人ブラントンが灯台守の宿舎として設計したもので明治10年、伊王島村の大工大渡伊勢吉によって建造されました。 正面に列柱7本を配したベランダを有する明治初期の西洋風住宅で各部屋にマントルピースを配し、部屋数、間取り等、明治初期の退息所では他に類を見ない、建築学上きわめて貴重な文化遺産です。 昭和63年に灯台記念館として生まれ変わり、明治灯台文化の資料等を保存・展示し、広く公開…
-
- エリア
- 東山手・南山手
全国各地から集められた、貴重なべっ甲作品を展示しています。
「長崎市べっ甲工芸館」は、国指定重要文化財「旧長崎税関下り松派出所」の約4年間の保存修理工事を経て、べっ甲工芸品及び税関資料を市民の観覧に供し文化的向上に資することを目的に、平成14年4月10日にオープンしました。 「旧長崎税関下り松派出所」は明治31年に建設。平成2年3月に国の重要文化財に指定され、建物自体は小規模ではありますが、明治時代の税関施設の状況をよく伝えており、歴史的な価値だけでなく…
-
- エリア
- 東山手・南山手
長崎近代交流史と孫文・梅屋庄吉ミュージアム
香港上海銀行は、開港して間もない幕末の長崎に代理店を置いて活動を始め、明治25年(1892)長崎に支店を開設しました。 香港上海銀行長崎支店の新社屋として明治から昭和初期の建築界の異才下田菊太郎が設計した現存する唯一の遺構であり、明治37年(1904)に竣工しまし た。長崎市内の石造り洋館としても最大級の物です。 この支店は当時神戸以西唯一の外国銀行で、在留外国人なかでも貿易商を主な取引先として…
-
- エリア
- 外海
外海が舞台となる小説『沈黙』を書いた遠藤周作の生涯や足跡を紹介する資料館
遠藤文学の原点とされる小説『沈黙』の舞台となった外海。東シナ海を臨み、素晴らしいロケーションに建つ瀟洒な文学館。眼前に雄大な外海の自然が展開する。館内には遠藤周作の生前の愛用品、遺品、生原稿、膨大な蔵書などが展示され、彼の生涯や足跡を紹介している。 【観覧料の減免】 長崎市発行の老人福祉カード(高齢者いきいきカード) (市内在住)無料 身体障害者手帳 (市内在住)無料 (市外在住)半額&n…
-
- エリア
- 風頭・寺町・中島川
年中行事として親しまれてきた凧資料館
長崎の凧はハタといい、高く揚げることを競うだけではなく、ガラスの粉を麻糸に塗り付けたビードロヨマ(糸)を使って他のハタと掛け合って相手のハタを切るところに妙味がある。どちらかというと子どもというより大人の遊びだ。 風頭、稲佐山、金比羅山に唐八景。長崎市街を取り囲む山々では今も春と秋に盛大に行われているハタ揚げ。参加しているおじいさんに目をやると、さすがに年季が入っていて、軽々2、3枚のハタを落と…