ぴんとこざか ピントコ坂

悲恋話が伝わる坂はとっても長くて険しい坂

旧茂木街道にあたる上小島の墓域から長崎県立南高等学校正門前まで続く坂段のことです。

寛永年中(1624~1643)、贋金(にせがね)作りの唐人・何旻徳(か・ぴんとく)が処刑された場所で、彼を慕った悲恋の遊女、阿登倭(おとわ)がここで自死。この遊女を葬った傾城塚(けいせいづか)があることからこの名で親しまれるようになったと言われています。

坂の下部にあるピントコ坂と記された表示板の場所から南校前にある表示板まで険しくて長い道のりです。
古くから長崎では険しい坂段を上り下りするときに“ぴんとこどっこいしょ”と発することからピントコ坂と呼ばれるようになったという説もあるそうです。

エリア
長崎市中心市街地エリア(平和公園・稲佐山・グラバー園など)
カテゴリー
歴史・文化財

もっと詳しく知ろう! ピントコ坂

  • 遊女・阿登倭(おとわ)を葬った傾城塚-0

    悲恋物語が形ある墓へ・傾城塚

    遊女・阿登倭(おとわ)を葬った傾城塚

    丸山の上にあたることから、この辺りには遊女の墓が多くあります。
    傾城(けいせい)とは遊女のこと。ピントコ坂の途中には、唐人・何 旻徳(か ぴんとく)の恋人だった遊女・阿登倭(おとわ)が眠る傾城塚があります。しかし、あることはあるのですが、実は何 旻徳の話はあくまでも物語。傾城塚も何 旻徳の話に基づいて造られた墓なのです。

基本情報

住所 〒850-0834 長崎県長崎市上小島町1~4丁目
電話番号 095-822-8888(長崎市コールセンターあじさいコール)
交通アクセス 長崎駅前から路面電車(崇福寺行)で約13分、崇福寺下車徒歩約20分
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