
被爆から80年――長崎は、記憶をつなぎ、未来を見つめます。
1945年8月9日、原爆により一瞬にして多くの命が奪われた長崎。80年を経た今も、あの日の記憶は街のあちこちに息づいています。
数々の被爆遺構を巡りながら、私たちは「なぜ伝えるのか」と改めて向き合います。
この都市は、悲しみを語り継ぐとともに、未来への希望と平和の願いを世界に発信し続けています。まずは知ることから。
静かに、深く、心に届く旅を、長崎で。
平和について考える
モデルコース
【長崎ロケ作品】映画『長崎ー閃光の影でー』が今夏公開。
1945年、夏。原爆投下直後の長崎を舞台に、被爆者救護にあたった若き看護学生の少女たちの“青春”を描く映画『長崎―閃光の影で―』が、戦後80年の今夏、8月1日(金)より全国公開されます。
※長崎県では、7月25日(金)より先行公開となります。
本作は、『TOMORROW 明日』(88)で原爆投下前日を描いた鍋島壽夫さんがプロデュースし、長崎出身で被爆3世の松本准平さんが監督・共同脚本を務めました。また、監督からの「祖父たちの被爆体験を受け継ぎ平和を次世代に伝えるべく、映画のエンディングを飾る主題歌を福山さんに担当していただきたい」というオファーに、同県出身のアーティストである福山雅治さんが応え、2014年に発表した自身の楽曲を本作のために新たにアレンジ。
今回主題歌に起用される「クスノキ ―閃光の影で―」は、福山さんがプロデュース・ディレクションを行いレコーディングされた、スミ役の菊池日菜子さん、アツ子役の小野花梨さん、ミサヲ役の川床明日香さんの3人が歌唱したバージョンとなっています。
出演:
菊池日菜子
小野花梨 川床明日香
水崎綾女 渡辺大 田中偉登 加藤雅也 有森也実 萩原聖人 利重剛 / 池田秀一 山下フジヱ
南果歩 美輪明宏(語り)
【作品情報】
映画『長崎ー閃光の影でー』
原案:「閃光の影で―原爆被爆者救護 赤十字看護婦の手記―」(日本赤十字社長崎県支部)
監督:松本准平 脚本:松本准平 保木本佳子
主題歌:「クスノキ ―閃光の影で―」(アミューズ/Polydor Records)
作詞・作曲:福山雅治 編曲:福山雅治/井上鑑 歌唱:スミ(菊池日菜子)/アツ子(小野花梨)/ミサヲ(川床明日香)
配給:アークエンタテインメント
『長崎ー閃光の影でー』
7月25日(金)長崎先行公開 / 8月1日(金)TOHOシネマズ 日比谷ほか 全国公開
©2025「長崎―閃光の影で―」製作委員会
配給: アークエンタテインメント
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