文化財
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- 東山手・南山手
- 長崎居留地と国際航路
グラバー家墓地(グラバーケボチ)
市指定史跡
スコットランド人トーマス・ブレイク・グラバーは1859年長崎に来ました。1861年にはグラバー商会を設立して貿易をし、造船、炭鉱、製茶事業などを行うことによって、日本の近代化の進展に貢献しました。一方で、武器、弾薬、戦艦などの販売を通じて、政治改革を目指す藩(薩摩藩・長州藩・土佐藩)を支援し、幕末から明治時代へと時代が転換するころの政治情勢に深くかかわりました。1897年以後は東京に引っ越し、1911年に死去しました。遺体は東京で火葬された後、同年12月長崎での葬儀が行われました。ここには1899年、大浦太平寺に埋葬された妻ツルの遺骨の一部も納められています。
その隣には「倉場(くらば)家之墓」と刻まれた墓碑が建っており、第二次大戦終結直後の1945年8月26日に自死したグラバーの長男倉場富三郎と、1943年に死去したその妻ワカが埋葬されています。倉場富三郎は底引き網漁の一種、トロール漁の事業を日本で初めて行ったほか、日本を代表する魚類図鑑の一つ、『日本西部及び南部魚類図鑑』(別名『グラバー漁譜』)を作成し、長崎で活躍しました。
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