世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」って?-1

世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」って? 世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」って?

17~19世紀、キリスト教禁教政策の下で厳しい弾圧を恐れながら密かに信仰を続けた「潜伏キリシタン」と呼ばれる信徒たち。宣教師不在の中で独自の文化を築いてきました。
現在、世界でも特異な歴史を歩んだ潜伏キリシタンのストーリーを表す12の資産が、世界文化遺産に登録されています。潜伏を余儀なくされたキリシタンたちが心の灯をつないだ証である「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を巡ってみませんか。

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潜伏キリシタンのストーリー

〈キリスト教の伝来と禁教政策〉
日本におけるキリスト教の歴史が始まったのは16世紀。イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルの来日をきっかけに、海外の貿易船がもたらす利益に目を向けた寄港地の地元領主「キリシタン大名」を中心とする華やかなキリスト教文化が花開きました。

しかし16世紀末から、信徒の結束を恐れた権力者による禁教政策と弾圧がはじまります。中でも決定的な出来事となったのが、2万人を超えるキリシタンが蜂起した「島原・天草一揆」。キリスト教は支配体制を固めつつあった徳川幕府の大敵となり、キリシタンの取り締まりが強化されたのです。その後、幕府による徹底的な禁教と海禁政策により鎖国体制が確立。宣教師の入国は不可能になりました。ここから、潜伏キリシタンの長い沈黙の年月がはじまります。

〈250年の沈黙〉
存在しないはずの幻の宗教となったキリスト教。しかし、長崎や天草地方では宣教師に代わる指導者が誕生し、彼らを中心に洗礼や葬儀、教会暦による宗教儀式が密かに行われました。表向きには仏教徒として生活しながらキリスト教を信仰し継承する「潜伏キリシタン」は、天照大御神や観音像をキリストやマリアに見立てたり、その地域の言葉で祈りを捧げたりと独自の信仰を形作っていったのです。

〈奇跡的な信徒発見と禁教令の解除〉
幕末、日仏修好通商条約が結ばれると、長崎の外国人居留地に「大浦天主堂」が建てられました。その1か月後、天主堂を訪れたひとりの女性が神父に信仰を告白します。禁教令から250年もの時を経て再会を果たした宣教師と潜伏キリシタン…これが世にいう奇跡の「信徒発見」です。

1873年、諸外国からの圧力もあり、政府が禁教令を解除。長崎と天草地方の潜伏キリシタン集落では、それまで続けてきた独自の信仰を続けるもの、カトリックに復帰するものなどが現れます。そして、長い長い冬の季節を耐えて春を迎えた花々のように、各地に次々と教会堂が建てられていきました。

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「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン」はどう違う?

混同されることが多い「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン」ですが、その違いは信仰の期間にあります。
約250年に渡る禁教期間も密かに信仰を続けていたのが「潜伏キリシタン」。独自の文化を育みましたが、多くは解禁後、カトリックへ復帰しました。一方、キリスト教解禁後もカトリックに戻らず独自の信仰を続けた人々が「隠れキリシタン」です。

「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン」はどう違う?-1

世界遺産としての価値

注目すべきは、宣教師不在の中で育まれた独自の文化です。
既存の社会や宗教と共生しつつ、一見日本の在来宗教のように見える独特な信仰形態がつくられました。12の構成資産は、潜伏キリシタンたちがどのように信仰を継続していったのか、キリスト教解禁後はどう変化していったのかという「潜伏のきっかけ」から「潜伏の終焉」までをストーリーで伝えています。潜伏キリシタンが歩んだ歴史の足跡を辿れるようになっているのです。

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教会ではなく、集落単位で登録されているのはなぜ?

多くの教会は、キリスト教の解禁後に建立されたもの。潜伏キリシタンのストーリーを伝えるこの世界遺産では、教会は潜伏の終焉を示す要素のひとつです。信仰は集落単位で行われることが多かったため、カモフラージュに使われた神社や指導者の屋敷跡などを含めた集落全体が価値のある資産だと考えられています。

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長崎市内の世界遺産登録スポットを巡ろう!

【長崎市】大浦天主堂

19世紀後半、開国によって来日した在留外国人のために建てられた現存する日本最古の教会です。
大浦天主堂の完成後、潜伏キリシタンが密かに訪れ神父に信仰を告白。日本でキリスト教が伝承されていたことが発覚した「信徒発見」の舞台となりました。美しいステンドグラス、フランスから伝わったマリア像など見どころも多く、併設する「大浦天主堂キリシタン博物館」では、天主堂の成り立ちやキリスト教の伝来などについて学べます。

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宗教史に残る奇跡の「信徒発見」

天主堂の公開後、浦上から訪れた女性がプティジャン神父に「ワレラノムネ、アナタノムネトオナジ」とささやき、禁教下の日本に多くのキリシタンが残っていたことが判明しました。
現在の天主堂では、信徒発見を記念してフランスから贈られた白亜のマリア像や、当時の様子を描いたレリーフを見ることができます。また、堂内で流れる音声ガイダンスでより詳しい内容聞くことができるので、見学の際はぜひ注目してみてくださいね。

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【長崎市】外海の出津集落(そとめのしつしゅうらく)

聖画を密かに拝むことで信仰を維持していた出津集落。キリスト教解禁後は、ド・ロ神父がシンボリックな出津教会堂を建立しました。漆喰の白い壁が美しく、海風に耐えられる平屋造りの教会堂です。集落内にはド・ロ神父が女性の自立を支援するために創設した旧出津救助院や聖画を隠していた屋敷跡などが残っています。

※出津教会堂の見学には事前連絡が必要です。詳しくはこちら

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外海の人々のために力を注いだド・ロ神父

出津教会堂や大野教会堂をはじめ、多くの長崎の教会の設計に携わったフランス人宣教師のド・ロ神父。
「魂の救済だけでなく、生活の救済が必要」と、私財を惜しみなく投じた様々な事業で外海の人々に「自立して生きる力」を与えました。ド・ロ神父が設計に携わった教会は、ゴシック様式を踏まえつつ、日本の伝統工法を用いた建築が特徴です。出津集落内にある「ド・ロ神父記念館」では神父ゆかりの品々を見ることができます。

外海の人々のために力を注いだド・ロ神父-1
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【長崎市】外海の大野集落(そとめのおおのしゅうらく)

自らの信仰をカモフラージュするため信仰対象を神社に祀って祈りの場とし、密かに信仰を継承した大野集落。キリスト教解禁後は大野教会堂が建立されました。強風にも耐えられるよう平屋建で建築された大野教会堂は、「ド・ロ壁」と呼ばれる強固な石積みの外壁が特徴です。

※教会堂の見学には事前連絡が必要です。詳しくはこちら

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世界遺産って?

世界遺産は、地球と人類の歴史によって生み出された、未来の世代に引き継いでいくべき宝です。人類共通の遺産として保護・保全するためにユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が採択した世界遺産条約に基づき登録され、「文化遺産」「自然遺産」「複合遺産」の3つに分けられます。

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公益社団法人日本ユネスコ協会連盟HP「世界遺産とは」

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