#005 ながさきと世界遺産-1

#005 ながさきと世界遺産 #005 ながさきと世界遺産


⻑崎市|地域⽂化発信事業 「世界⽂化遺産「明治⽇本の産業⾰命遺産」登録10周年記念 フォトコンテスト写真展」(歴史⽂化)は、写真を通して、⻑崎の世界遺産について知っていただけるようなイベントです。本ページでは、ながさきと世界遺産にまつわる歴史⽂化ストーリーをご紹介します。

【⽂化祭2025|イベント情報】世界遺産関連イベント

事業名:⻑崎市|地域文化発信事業「世界⽂化遺産『明治日本の産業⾰命遺産』登録10 周年記念 フォトコンテスト写真展」(歴史⽂化)」
会場:⻑崎県庁(1階エントランスホール)
開催⽇:10⽉14⽇(⽕)〜31⽇(⾦)
概要:「明治⽇本の産業⾰命遺産フォトコンテスト」入賞作品の展⽰を通して、世界遺産の構成資
産を有する⻑崎の魅⼒を紹介します。また併せて、「⻑崎と天草地⽅の潜伏キリシタン関連遺産フォトコンテスト」入賞作品も展⽰します。

世界⽂化遺産「明治⽇本の産業⾰命遺産 製鉄・製鋼、造船、⽯炭産業」

【ものづくり⼤国が⽣まれたワケ! 明治⽇本の産業⾰命遺産】

2015年7⽉、「明治⽇本の産業⾰命遺産 製鉄・製鋼、造船、⽯炭産業」は、世界⽂化遺産に登録されました。明治以降、わずか50年余りの短期間で、⽇本は⼯業⽴国の⼟台を構築し、⽇本の基幹産業となる造船、製鉄・製鋼、⽯炭と重⼯業において急速な産業化を成し遂げたことを証⾔する8 県11市に点在する23の産業遺産群により構成されています。その中でも⻄洋⽂化の窓⼝ ⻑崎においては、早期から⻄洋と科学技術を交流する機会に恵まれていたことで、「造船」の分野では⻑崎三菱造船所に関連する5件、「⽯炭産業分野」では⾼島炭坑・端島炭坑に関連する3件を合わせて、全体の1/3程度を占める全8件が構成資産として認定されています。

【PICK UP! ⻑崎市の構成資産①|端島炭坑(軍艦島)】

端島は、岸壁が島全体を囲い、⾼層鉄筋コンクリートが⽴ち並ぶ要塞のような外観が軍艦“⼟佐”に似ていることから、“軍艦島”とも呼ばれています。1890 年、三菱は⾼島の炭鉱経営に成功したことを機に端島の購⼊を決断します。⾼島炭坑と同じ⻄彼杵海底炭⽥を鉱床とし⾼品位炭を産出し、1897年には⾼島の出炭量を凌駕するほどで、国内外の⽯炭需要を賄ったことで⽇本の産業近代化に貢献しました。1974年の閉⼭後は、端島への⽴ち⼊りは禁⽌されていましたが、2009年に⼀般の⽅の上陸が可能となり、現在では⻑崎を訪れる数多くの観光客が上陸ツアーに参加しています。

【PICK UP! ⻑崎市の構成資産②|ジャイアント・カンチレバークレーン】

ジャイアント・カンチレバークレーンは、1909年、三菱合資会社の時代、造船所の設備電化に伴い、⽇本で初めて建設された英国製の電動クレーンで、⼤型船⽤装備品の荷重にも耐える当時最新鋭の⾼い性能を有していました。現在、同型では世界に10基、⽇本では3基現存していますが、稼働しているものとしては⽇本最古のもので、現在は機械⼯場で製造した蒸気タービンや⼤型舶⽤プロペラの船積み⽤に使⽤されています。⼀般⾮公開施設ですが、対岸の⻑崎港、出島ワーフ、⽔辺の森公園などからその姿を望むことができ、夜間はライトアップされています。

【PICK UP! ⻑崎市の構成資産③|旧グラバー住宅】

⽇本が開国した1859 年、⻑崎にやってきた21 歳の英国⼈トーマス・B・グラバーは、貿易商としての才能をたちまち発揮し、居留地を代表する有⼒商⼈となりました。⽯炭・造船分野ではいち早く蒸気動⼒を導⼊し、構成資産である⼩菅修船場や⾼島炭坑において事業化を推進するなど、⽇本の近代化に⼤いに貢献しています。彼の活動拠点となった旧グラバー住宅は、⻑崎三菱造船所を⼀望する丘の上に建設されており、国指定重要⽂化財にも指定されている⽇本最古の⽊造洋⾵建築物として、⻑崎の有名観光地グラバー園を代表する異国情緒豊かな施設となっています。

世界⽂化遺産「⻑崎と天草地⽅の潜伏キリシタン関連遺産」

【禁教下の密かな信仰 潜伏キリシタン関連遺産】

2018年6⽉、「⻑崎と天草地⽅の潜伏キリシタン関連遺産」は、世界⽂化遺産に登録されました。潜伏キリシタンの⽂化的伝統が形成され、潜伏キリシタンが密かに信仰を維持するために様々な形態で他の宗教と共⽣を⾏い、潜伏キリシタンの伝統が終焉を迎える、その歴史の流れを物語る2 県8市12の構成資産で形成されています。

【PICK UP! ⻑崎市の構成資産①|⼤浦天主堂】

⼤浦天主堂は、1865年に献堂された現存する⽇本最古の教会です。正式には「⽇本⼆⼗六聖殉教者聖堂」と⾔い、1862年に聖⼈に列せられた⼆⼗六⼈の殉教者たちに捧げられた教会で、殉教地 ⻄坂に向けて建てられています。国宝にも指定されており、「東洋の奇跡」と謳われた信徒発⾒の舞台としても有名です。天⾼く吊り上げるリブヴォルト天井、多くの光を取り⼊れるステンドグラスをはめ込んだゴシック建築様式が特徴で、⼤祭壇に向かって右側の⼩祭壇では、信徒発⾒の際、潜伏キリシタンが⾒たマリア像が拝観できます。

【PICK UP! ⻑崎市の構成資産②|外海の出津集落】

外海の出津集落は、⼩規模な潜伏キリシタン集落が連帯し、聖画像や教理書、教会暦などを秘匿して祈りを捧げて、⾃らの信仰を伝承し継続しようとした集落です。禁教期には多くの外海地域出⾝の潜伏キリシタンが五島列島などへと移住し、信仰の共同体が離島各地へ広がることになりました。解禁後、潜伏キリシタンは段階的にカトリックに復帰し、1882年、ド・ロ神⽗が集落を望む⾼台に出津教会堂を建てたことは、出津集落における潜伏が終わりを迎えたことを象徴しています。

【PICK UP! ⻑崎市の構成資産③|外海の⼤野集落】

外海の⼤野集落は、表向きは仏教徒や集落内の神社の⽒⼦となり、神社に⾃らのキリシタン信仰の対象を密かに祀ることで、⾃分たちの信仰対象を密かに祀って拝むことを実践した集落です。解禁後にカトリックへと復帰した⼤野集落の潜伏キリシタンは、当初、外海の出津集落に所在する出津教会堂へと通っていましたが、1893年、⾃らの集落の中⼼に⼤野教会堂を建堂したことで、⼤野集落における潜伏が終わりを迎えたことを象徴しています。

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