せいこるべきねんかん 聖コルベ記念館

コルベ神父が選んだ彦山斜面に建つ記念館

彦山の斜面に建つ聖母の騎士修道院の奥、レンガ張りの円筒型の建物が、聖コルベ記念館です。
ポーランド出身のコルベ神父が1931年、無原罪の園修道院を開設、5年後に修道院内に聖母の騎士学園の前身である「本河内神学校」を開校。また、コルベ神父は長崎に来た1ヶ月後には現在も続く「聖母の騎士」を創刊しました。1936年、会議の為ポーランドへ帰国していたコルベ神父、そこに第二次世界大戦が勃発し、アウシュビッツ強制収容所へ送られます。コルベ神父は、妻子がいる若者の身代わりとなり処刑され殉教しました。1982年、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世により聖人の位に上げられ、世界各国で多くの人々に崇められています。
館内中央には、当時のまま復元された「聖コルベの部屋」があり、部屋の周りにはコルベ神父着用の祭服、典礼書、帽子、手紙、コルベ神父直筆の長崎日記など、数々の資料が展示されています。聖母の騎士創刊当時の印刷機、アウシュビッツ関連の資料、交流のあった永井隆博士に結核と診断されていた神父の、胸のレントゲン写真フィルムや、書簡も残されています。
1981年に来崎したローマ法王ヨハネ・パウロ二世は聖母の騎士修道院と聖コルベ小聖堂を訪れ、コルベ神父の遺品の数々に接し大きな感動を受けて涙ぐんでおられたといいます。

エリア
長崎市中心市街地エリア(平和公園・稲佐山・グラバー園など)
カテゴリー
博物館・資料館・美術館

もっと詳しく知ろう! 聖コルベ記念館

  • 当時のままに復元された「聖コルベの部屋」-0

    当時のままに復元された「聖コルベの部屋」

    館内に入るとまず目に入るのが、復元された「聖コルベの部屋」。
    中には、コルベ神父と共に来崎したゼノ修道士の手作りという素朴な机とイス、そしてその机を使って『長崎日記』などの原稿を書いている在りし日のコルベ神父の写真が配されています。ちょうど目の高さに置かれているマリア像。
    ここはコルベ神父の日々の生活を垣間見ることができる空間です。

  • アウシュビッツの悲劇が目前に迫る-1

    アウシュビッツの悲劇が目前に迫る

    昭和11年(1936)、会議のためにポーランドへ帰国したコルベ神父は健康を害し、日本へ戻ることができませんでした。
    そして第二次世界大戦勃発。
    ポーランドはナチスによって占領され、昭和16年(1941)、コルベ神父はアウシュビッツ強制収容所に送られました。そして死刑を宣告された妻と子がいるという若者の身代りとなって餓死死刑室に送られ殉教したのでした。

    館内にはコルベ神父が殉教した地下室の写真と、代わりに助けられたガョヴィニチェク氏と家族の写真、ナチスによる死亡報告書、爆破されたアウシュビッツの火葬場のレンガの破片と人骨片、遺髪なども展示されています。アウシュビッツで起きた事実に関しては、わかりやすく編集されたビデオを見ることができます。
    歴史の真実を知るためにもこのビデオはぜひ見ておきたいものです。

基本情報

住所 長崎県長崎市本河内2-2-1
電話番号 095-824-2079(聖母の騎士修道院(聖コルベ記念館))
営業時間 9:00~17:00
休日 無休
料金 無料
交通アクセス ・路面電車/長崎駅から(蛍茶屋行き)乗車、終点下車、徒歩約15分
・バス/JR長崎駅前東口バス停から県営バス(網場・諫早東厚生町・矢上団地行)乗車、「番所」バス停下車、徒歩約2分
・車/JR長崎駅から約15分
駐車場 15台
リンクURL 長崎Webマガジン「ナガジン」
ながさき歴史・文化ネット
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