外海(そとめ)に、生き抜く力を授けた神父がいました。
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外海(そとめ)に、生き抜く力を授けた神父がいました。<br>
世界遺産を訪ねて 外海(そとめ)に、生き抜く力を授けた神父がいました。
世界遺産を訪ねて


【長崎市民の推しPOINT】
外海(そとめ)には長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の構成資産である、出津(しつ)集落と大野集落があり、明治時代初期の施設が数多く残されています。西側に海が続く外海(そとめ)は、夕日も美しいので、1日の終わりまでゆっくりと過ごして帰るのがオススメですよ。
 

美しい夕日が沈む集落でド・ロ神父が授けたもの

1840 年にフランス、ノルマンディー地方ヴォスロールに貴族の次男として生まれた宣教師マルク・マリー・ド・ロ神父は、 1868 年に来日。印刷技師として長崎や横浜で布教活動をした後、 1879年(明治12)に長崎市の北西部、江戸時代に潜伏キリシタンが暮らした外海地区へ赴任しました。

多彩な知識と豊富な資産と無償の愛

お城に住んでいる貴族という特権階級がこの先も続くとは考えていなかった両親は、ド・ロ神父に建築・土木・医学・産業などの幅広い分野の教育を受けさせました。その専門知識を活かし、土地が貧しく、技術もなく、生きて行くのに精一杯だった外海の人々に、自身の資金でヨーロッパからさまざまな機械や道具を取り寄せ、農業指導、漁業指導、医療事業、教育事業など多彩な事業を自ら先導して「自立して生きる力」を授けました。

記念館に残されたド・ロ神父の功績

長崎市ド・ロ神父記念館は記念館の建物は1885年にいわし網工場として、神父自ら設計、施工したもので、その後、保育所として使用されていました。明治時代の洋風建造物としては特異な建物で、2003年に旧出津救助院の一部として、国の重要文化財に指定されました。神父がこの地で行った様々な事業に関する品物が展示されていて、自ら薬の調合もしたという神父によって輸入された、手術用器材、大工・左官用具、ソーメン・マカロニ製造用具、メリヤス編機など、当時使われていた道具が遺されています。オルガンは今も音が出る貴重なものです。

旧出津(しつ)救助院

ここはド・ロ神父が女性の自立支援のための作業場として1883年に設立した施設。平らな石、温石石(おんじゃくいし)を使ってド・ロ神父独自の工法で築かれた石積み壁(通称「ド・ロ壁」)に囲まれた、風に強い堅牢な建物の中では、織物や縫物、食品加工などの技術を教え、人々の生活向上や拠点としてさまざまな活動が行われました。中でもパンやマカロニは外国人居留地に住む西洋人によく売れ、経済的な支えになったそうです。

ド・ロ神父が授けた食料品づくり体験も

施設の一部は、貴重な明治初期の授産・福祉施設の遺構として国の重要文化財に指定され、施設ではド・ロ神父にちなんだ紅茶作りやパン作り等の体験活動を不定期で開催しています。帰りに日本で初めて作られたパスタや、「ド・ロさまそうめん」や紅茶をお土産にどうぞ。

強風に耐えるために天井が低い出津(しつ)教会堂

救助院から温石石による独特のド・ロ壁や階段が続く道を登ると、ド・ロ神父自らが設計と建築指導をして1882年に完成した出津教会堂があります。その後の2度の増築もド・ロ神父が行い、その希少性から国の重要文化財に指定されています。できるだけ多くの場所から見えるように小高い斜面に建てられた教会は、海からの強風に耐えられるように天井を低くした西洋風のレンガ造りに、日本の瓦葺きと漆喰の外壁を組み合わせた和洋折衷の長崎らしい建物です。

出津に残る風景をめぐる

出津の集落にはキリスト教徒のお墓や、温石石で作られた家などが残っています。干したさつまいも(かんころ)をもち米と混ぜて作る出津生まれの「かんころ餅」づくりが体験できたり、「かんころ餅づくし」のランチをすることができる出津農楽舎(しつのうらくしゃ)に立ち寄って、できたてのかんころ餅を手土産に、夕日を見ながら長崎市の中心部へ戻れば、心洗われる1日になることでしょう。

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