第2章 蒼いまなざしの⼥性医師 イネ-1

第2章 蒼いまなざしの⼥性医師 イネ 第2章 蒼いまなざしの⼥性医師 イネ

蒼いまなざしを持った少⼥は、いつしか偉⼤な⽗ シーボルトの背中を追う。時代の逆境に負けない、⽗によく似たパワフルな情熱と探究⼼は、ついに⽇本初の⼥性ドクターを誕⽣させる。

◆偉⼤な⽗ シーボルトの背中を追う

【⾃らの⾎筋を知り、医師を志す】
シーボルトの帰国後、蒼いまなざしと明るい髪⾊を持つ娘 イネは物⼼がつくにつれて、⾃らの⽣い⽴ちが周りの⽇本⼈と違うことを知りました。「⾃分は普通の娘としては⽣きていけない。死ぬまで混⾎児というハンデを背負って、⽣き続けなければならない。そのためには、将来⼥⼀⼈で⽣活できる技術を⾝につけておく必要がある。」と考えたイネは、偉⼤な⽗シーボルトの⽣業であった医師になることを⼈⽣の⽬標として、⽗から送ってもらった学術書などを元に、勉学に明け暮れました。


【時代の逆境に負けず、⻄洋医学を究める】
10代のイネは、シーボルトから直々に娘 イネの養育を託されていた⾨徒を頼って、宇和島の⼆宮敬作の元で医学の基礎、岡⼭の⾨徒 ⽯井宗謙の元で産科を学びました。その後、蘭学者 村⽥蔵六(後の⼤村益次郎)にオランダ語を学んだほか、⻑崎では近代⻄洋医学教育の⽗ ポンペなどの名だたる⻄洋⼈医師に師事しています。ポンペが⾏った⽇本初の解剖学実習では、イネは外科⼿術の助⼿を任されるほど評価されました。まだまだ偏⾒の多かった時代の逆境に負けず、蒼いまなざしの⼥性イネは最新の⻄洋医学を究めて、⽇本の産科発展に貢献する⼥性医師へと成⻑していきます。


【皇室御⽤命の誉れ|⽇本初の⼥性産科医へ】
1870年、念願叶って、イネは東京の築地に⾃⾝の産科医院を開業します。また福沢諭吉の推薦で宮内省御⽤掛となり、明治天皇の第⼀皇⼦の出産にも⽴ち会う名誉にも預かりました。その約10年後には帰郷し、⻑崎の銅座町で開業、医者として第2の⼈⽣を歩み始めます。そして、62歳のときに再び上京、晩年は娘 ⾼⼦と静かに暮らしました。1903年、イネは東京の⿇布で死去し、遺⾔によって愛する⺟ タキ、⽣涯の恩師 ⼆宮敬作が弔われている⻑崎市晧台寺 楠本家墓地に埋葬されました。現在その場所には「シーボルトゆかりの⼈たちの顕彰碑」が設置され、⻑崎の港町を⾒渡す坂の上でシーボルトの家族の物語を伝えています。

COLUMN

『銀河鉄道999』メーテルのモデル 楠本 ⾼⼦

楠本イネの娘 ⾼⼦は、13歳になるまで祖⺟ タキの元で育ちました。⾼⼦はお琴や三味線などの芸事に打ち込み、医学の道を志してほしかった⺟ イネを落胆させました。後に⼀度は医学の道を⽬指しますが、最後に⾼⼦の⽣計を⽀えたのは幼少期に熱⼼だった芸事だったと⾔われています。シーボルトを祖⽗に持つクオーターであった⾼⼦は、⽬⿐⽴ちの整った眉⽬秀麗な美⼈として有名な⼈物。若き頃の肖像写真は、SF 漫画『銀河鉄道999』の作者 松本零⼠の⽬に留まり、“ずっと思い描いていた理想の⼥性”として作中のヒロイン メーテルの美貌のモデルになったと⾔われています。

『銀河鉄道999』メーテルのモデル 楠本 ⾼⼦-1

シーボルトの娘と孫の写真(所蔵:⻑崎歴史⽂化博物館)

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