長崎で撮影された龍馬の写真を、撮った人。
龍馬と同じ手法で写真が撮れる
【長崎市民の推しPOINT】
上野彦馬という努力家の軌跡
上野彦馬は、代々画家の家系で、父親は絵師でシーボルトに学んだ蘭学者の一人でした。江戸時代末期に第二次海軍伝習所の教官、オランダ人医官ポンペから舎密学(せいみ学=化学)の指導を受けて写真術に興味を持ち、双眼鏡のレンズを利用した自作の写真機をつくりました。
「人の精気を吸い取る」噂も何のその
写真機はできたものの、問題は感光材。上野彦馬は独学で研究して、アルコール、硫酸、アンモニア、青酸カリなどの化学薬品を調達。苦労の末に写真術を完成させ、1862年、中島川の河畔に上野撮影局を開設しました。創業当時は「写真が人の精気を吸い取る」と恐れられたものの、長崎に住んだり、来訪する外国人が訪れ、グラバーやロシア皇太子、ド・ロ神父などを撮影。さらには坂本龍馬をはじめ、高杉晋作、伊藤博文といった幕末の志士や勝海舟、松本良順などが写真を撮ってもらい、長崎県庁の役人の平均年収が120円という時代に年収15000円だったそうです。
当時の撮影手法で撮ってもらえる写真館
上野彦馬の撮影方法は「湿板写真」と呼ばれます。その撮影手法を現代に甦らせたのが、湿板写真柴原撮影局。柴原龍一さん、柴原啓一朗さんは従兄弟同士。上野撮影局があった中島川からすこし坂を登ったところに、古民家を改装した素敵な撮影スタジオを構えています。
さまざまな人の助けを借りながら撮影手法を再現
まるで化学実験室のような一室で、手順に従って撮影の準備を行います。再現を決意した時には、上野彦馬時代の撮影手法を知る文献はないかと尋ね歩くものの、原爆で失われていることが判明。湿板写真は紙ではなくガラスに写真を写し出すため、長崎で17世紀から続く老舗ガラス店をはじめ、さまざまな人づてに手法を聞いて、撮影方法を研究し、数年の試行錯誤の末に撮影手法の習得に成功しました。
当時と同じく撮影中は動けません
坂本龍馬が台に肘を置いて写っているのは、体が動かないようにするため。現代のカメラはシャッターを切る時間が数十分の1秒〜数千分の1秒と短いのでブレにくいのですが、当時のカメラはレンズキャップを取って数秒〜数十秒じっとしておかないといけません。着てる服や、人数などによっても撮影秒数に影響があるそうで、現代の写真よりもかなり多様な知識と技術が必要です。
出来上がった写真は手作りの額に
こうして出来上がった写真は、現像されてガラスに焼き付けられます。その解像度の粒子は現代のデジタル写真よりも細かいそうで、当時の写真精度の高さに驚かされます。撮影した写真は、丁寧に仕上げをしてくれて、オリジナルの額に額装して後日送ってくれます。上野撮影局跡の肘掛台を使用し、龍馬と同じポーズで撮影も可能。世界でたった1枚の原板、幕末のガラス写真。龍馬と同じ時代の撮影を誰もが体験できるようになりました。