長崎で撮影された龍馬の写真を、撮った人。
龍馬と同じ手法で写真が撮れる-1

長崎で撮影された龍馬の写真を、撮った人。<br>
龍馬と同じ手法で写真が撮れる 長崎で撮影された龍馬の写真を、撮った人。
龍馬と同じ手法で写真が撮れる


【長崎市民の推しPOINT】

ブーツで、片肘を付いて写っている坂本龍馬の有名な写真は、長崎で撮影されたもの。でも長崎で有名なのは、撮影した日本で初めてのプロ写真家、上野彦馬(横浜の下岡蓮杖という説もありますが、同時期)。日本初の商業写真館「上野撮影局」を開設して、当時の要人たちの写真を数多く残していて、2026年、187枚の写真が収められた「上野撮影局写真帖」を国の重要文化財に指定するよう文部科学大臣に答申中なんですよ。

上野彦馬という努力家の軌跡

上野彦馬は、代々画家の家系で、父親は絵師でシーボルトに学んだ蘭学者の一人でした。江戸時代末期に第二次海軍伝習所の教官、オランダ人医官ポンペから舎密学(せいみ学=化学)の指導を受けて写真術に興味を持ち、双眼鏡のレンズを利用した自作の写真機をつくりました。

「人の精気を吸い取る」噂も何のその

写真機はできたものの、問題は感光材。上野彦馬は独学で研究して、アルコール、硫酸、アンモニア、青酸カリなどの化学薬品を調達。苦労の末に写真術を完成させ、1862年、中島川の河畔に上野撮影局を開設しました。創業当時は「写真が人の精気を吸い取る」と恐れられたものの、長崎に住んだり、来訪する外国人が訪れ、グラバーやロシア皇太子、ド・ロ神父などを撮影。さらには坂本龍馬をはじめ、高杉晋作、伊藤博文といった幕末の志士や勝海舟、松本良順などが写真を撮ってもらい、長崎県庁の役人の平均年収が120円という時代に年収15000円だったそうです。

当時の撮影手法で撮ってもらえる写真館

上野彦馬の撮影方法は「湿板写真」と呼ばれます。その撮影手法を現代に甦らせたのが、湿板写真柴原撮影局。柴原龍一さん、柴原啓一朗さんは従兄弟同士。上野撮影局があった中島川からすこし坂を登ったところに、古民家を改装した素敵な撮影スタジオを構えています。

さまざまな人の助けを借りながら撮影手法を再現

まるで化学実験室のような一室で、手順に従って撮影の準備を行います。再現を決意した時には、上野彦馬時代の撮影手法を知る文献はないかと尋ね歩くものの、原爆で失われていることが判明。湿板写真は紙ではなくガラスに写真を写し出すため、長崎で17世紀から続く老舗ガラス店をはじめ、さまざまな人づてに手法を聞いて、撮影方法を研究し、数年の試行錯誤の末に撮影手法の習得に成功しました。

当時と同じく撮影中は動けません

坂本龍馬が台に肘を置いて写っているのは、体が動かないようにするため。現代のカメラはシャッターを切る時間が数十分の1秒〜数千分の1秒と短いのでブレにくいのですが、当時のカメラはレンズキャップを取って数秒〜数十秒じっとしておかないといけません。着てる服や、人数などによっても撮影秒数に影響があるそうで、現代の写真よりもかなり多様な知識と技術が必要です。

出来上がった写真は手作りの額に

こうして出来上がった写真は、現像されてガラスに焼き付けられます。その解像度の粒子は現代のデジタル写真よりも細かいそうで、当時の写真精度の高さに驚かされます。撮影した写真は、丁寧に仕上げをしてくれて、オリジナルの額に額装して後日送ってくれます。上野撮影局跡の肘掛台を使用し、龍馬と同じポーズで撮影も可能。世界でたった1枚の原板、幕末のガラス写真。龍馬と同じ時代の撮影を誰もが体験できるようになりました。

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