
#002 ながさきと花
長崎市|分野別交流事業 「いけばなの祭典 〜いける・いかす・いきる〜」(生活文化)は、日本の五大流派の華道家や、子どもから大人まで様々な大きさのいけばなを展示するイベントを開催します。
【文化祭2025|イベント情報】いけばなの祭典
事業名:長崎市|分野別交流事業 「 いけばなの祭典〜いける・いかす・いきる〜」(生活文化)
会場:ベネックス長崎ブリックホール
開催日:11月22日(土)~24日(月・振) ※五流派の華道家によるいけこみの特別公開は、11月21日(金)13時からです。
概要:日本を代表する五流派の華道家による作品の展示、いけこみの特別公開を行います。長崎県各地で活動する、こどもから大人までの幅広い世代が手がけた大小さまざまないけばなや、新しい形の「壁を利用した作品」を展示し、ワークショップ(いけばな体験)も開催します。
ながさきの美しい花
【⾬露にかがやく、恋物語の花「アジサイ」】
出島の三学者の⼀⼈ シーボルトは、1823〜1829年まで出島に滞在し、後に⼤作『⽇本植物誌』の発表や⽇本植物の通信販売によって、東洋の未知の植物を求める⻄洋園芸界を席巻します。シーボルトは、愛する妻 お滝さんを想い、美しくしとやかなアジサイに学名「otakusa(オタクサ)」と記しました。ヨーロッパに持ち込まれたアジサイは“東洋のバラ”と称され、品種改良で多様な⾊彩、豪華な⼿まり咲きとなる⻄洋アジサイが誕⽣し、世界中で愛されることとなります。長崎出島を代表する偉人 シーボルトの功績については、シーボルト記念館で詳しく観覧することができます。
【雨の似合う、ながさき紫陽花まつり】
長崎市の花は、シーボルトゆかりのアジサイ。雨の似合う長崎市では、毎年5月下旬から6月中旬にかけて「ながさき紫陽花まつり」が開催されます。期間中は、シーボルト記念館、興福寺などの各所で多種多様なアジサイを鑑賞できますが、中でも長崎の人気観光スポット眼鏡橋では、シンボリックな眼鏡橋の水鏡、雨露に濡れる石橋・石畳の風景を、多種多様な紫陽花とともに撮影できるおすすめのフォトスポットとなっています。
ながさきの天才植物画家 川原慶賀
【出島で活躍した絵師】
川原慶賀は、1786年頃、⻑崎に⽣まれた⽇本⼈絵師。⻑崎画壇の重鎮 ⽯崎融思の弟⼦ともいわれ、⻄洋絵画と⽇本絵画の技法の合体などを学び、1811年頃、出島に⾃由に出⼊りを許される「出島出⼊絵師」となります。以降、商館⻑、商館員などの求めに応じて、カメラのごとく⽇本の⽂物をうつしとって記録するなど出島で活躍し、シーボルトのお抱え絵師としても、⽇本研究のための植物など数多くの絵画を描くこととなります。
【サイエンスとアートを融合する】
シーボルトは、川原慶賀の写実的で正確な絵画を⾼く評価していましたが、⻄洋植物画の科学的原則に沿った記録が必要であったため、1825 年、画家デ・フィレニューフェを来⽇させました。慶賀は、この画家から⻄洋植物画の原則を指導されたことで、シーボルトの満⾜のいく植物学的⾒地からも有⽤な図譜を数多く⽣み出します、そして、慶賀のアートは、次第に⽇本画本来の情趣と⻄洋の科学的な画法を融合させた独⾃の境地へと辿り着きます。
【そして、ボタニカル・アートの名作へ】
川原慶賀がうつしとった、おびただしい数の⽇本植物の図譜コレクションは、名作『⽇本植物誌』の図版製作の基礎となりました。シーボルトは、この原画を元に、植物図版の製作に傑出したドイツやオランダの画⼯に版下画を描かせて、出版を⾏います。この版下にする過程では、枝ぶりや葉や花の配置などは⻄洋の植物画の知識に応じて多少の改変が⾏われましたが、ヤマブキやアケビは川原慶賀の構図や雰囲気が保たれた代表例といわれています。
シーボルトの⾥帰り植物
2000年、⽇蘭交流400周年記念事業の⼀環として、シーボルトがヨーロッパに持ち帰った植物が栽培されているオランダのライデン⼤学植物園から、計5種の植物が⽇本に株分けされました。この⾥帰り植物(フジ、ケヤキ、アケビ、ナツヅタ、イロハモミジ)は、200年近くの時を経て、⻑崎・出島の植物園内に根づき、かつての緑を栄えさせています。
