中谷大輔さんによる、恐竜についてのコラムをご紹介します!
コラム筆者紹介

コラム筆者紹介

 

中谷大輔

長崎市 教育委員会 恐竜博物館準備室 学芸員

1984年生まれ、北九州市出身。山口大卒。2012年鹿児島大大学院理工学研究科博士後期課程単位取得退学。同年から佐賀県立宇宙科学館(武雄市)学芸員。2017年10月から現職

博物館の歴史 資料の保存や教育を補完

博物館の歴史 資料の保存や教育を補完

長崎市は2019年5月、オランダの国立自然史博物館「ナチュラリス生物多様性センター」と協力、提携に関する覚書を交わしました。同センターは昨年8月、前身となる施設の開館(1820年)から数えて200年を迎えました。シーボルトが長崎に来たのが1823(文政6)年7月ですから、それより3年ほど前に開館していたことになります。オランダに限らず欧州には、さらに長い歴史がある博物館も現存し、文化や歴史、自然史の貴重な資料を守り公開してきました。

日本では正倉院や各地の神社、仏閣等で重要物品が保存されてきましたが、博物館が誕生したのは明治期になってからでした。当時の政府は、急速な欧化で損なわれる文化財の保護が急務であることを認識するとともに、国民に対して視覚的に啓発する場が必要と考え、1872(明治5)年に「文部省博物館」と称して、東京の湯島聖堂で最初の博覧会を開催しました。これが日本最初の博物館が創立、開館とされています。

「文部省博物館」は、その後の政策方針の変更に伴い、管轄が文部省から内務省等に管轄が移っていく中で、歴史や古美術を中心とした資料の収集保存を重視する施設となり、現在の「東京国立博物館」となりました。

一方、同年に「学制」を発布した文部省は、教育の近代化に実物標本を用いた教育が必要と考え、同省管轄の博物館の復活を訴えました。その一部が認められ、諸外国の博物館を参考にしながら新たに資料を収集し、1887(明治10)年に「教育博物館」を開館。その後も教育活動を支援する施設として名称を変えながら、現在の「国立科学博物館」に至っています。

このように、資料の保存や教育を補完する施設として日本に定着してきた博物館は、近年では観光施設と同じように地域活性化の一翼をも担う存在となっています。10月29日開館する長崎市恐竜博物館も、貴重な恐竜化石等の収集保管、調査研究、展示、教育活動を行うとともに、周辺施設と一体となって地域振興に寄与することが求められています。長い歴史があるナチュラリス生物多様性センターと交流しながら、さまざまなことを学び、利用者や地元の方々に長く愛され必要とされる施設となるように、しっかりと取り組んでいきたいと思います。

※令和3年7月5日 長崎新聞掲載

絶滅動物の再現

絶滅動物の再現

映画「ジュラシックパーク」では、琥珀に閉じ込められた虫から採集した血液を使って遺伝子情報を復元し、絶滅した恐竜を復活させていました。しかし、最新の科学技術を用いても、この方法で遺伝子情報を復元することは不可能とされています。

 そのような状況でも、絶滅動物を現代に蘇らせようとしている研究チームがあります。「ジュラシックパーク」の監修を務めたアメリカの古生物学者ジャック・ホーナーが率いる研究チームは、遺伝子情報を操作したニワトリの卵から、小さな歯と長い尾を持つ小型肉食恐竜のような生き物を創り出そうとしています。また、近畿大学の研究チームは、シベリアの永久凍土から発見されたマンモスの子供の肉片から、遺伝子情報を採集し、現代のゾウの情報と照らし合わせることで、遺伝子情報の復元を試みています。

 これらの研究により、絶滅動物に秘められた新たな発見があるかもしれません。しかし、実験的に生み出されるかもしれない生き物のことを思うと、倫理的な問題があるようにも感じます。科学技術は使い方次第で、私たちを幸福にも不幸にも導くものです。世界中で行われている研究について、今後も注目していく必要があります。※長崎ケーブルメディアTVガイド7月号掲載

 

科学とイラスト

科学とイラスト

梅雨の時期になると、あちこちで青やピンクのアジサイが花開きます。長崎市の花でもあるアジサイは、江戸時代に長崎で活躍したフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796-1866年)によって、世界に広まったとされています。

アジサイだけではなく、日本の動植物や人々の暮らしを世界に伝えたシーボルトの功績は、多くの日本人協力者によって支えられたものでした。その中でも、見たものを正確に描ける川原慶賀(1786年ごろ‐1860年ごろ)の存在は、非常に大きかったと考えられています。

慶賀は出島出入絵師としてシーボルトの求めに応じ西洋画法を習得し、さまざまなものを描きました。ありのままを描く慶賀の絵は科学的に正確なことも多く、江戸時代の日本の様子を伝える貴重な資料となっています。現在、それらの原画の多くは、オランダのライデン市にあるナチュラリス生物多様性センター、国立民族学博物館などで大切に保管されています。

シーボルトにとっての慶賀のように、自然科学者には優秀なイラストレーターが必要とされています。慶賀はこうした「サイエンスイラストレーター」の草分けといえます。今では博物館専属のイラストレーターがいることさえあり、写真や映像では表現できない、研究者の頭の中にあるものを、具現化する役割を担っています。

特に、生きている姿を誰も見たことが無い恐竜のような絶滅動物の姿を描くことはとても難しく、研究者と同じくらいの専門的な知識と、それを表現できる技術が必要となります。

10月29日に野母崎に開館する市恐竜博物館には、テイストが異なる複数のイラストレーターによる作品が並びます。8100万年前の長崎の様子を描いた横幅20メートル、高さ6メートルを超える巨大な壁画は、常設展示室の見どころの一つです。また、常設展示室2階には、化石のデッサンを描くことができる体験コーナーも設置します。

恐竜博物館がオープンしたら、何げなく掲示されているイラストにも注目してもらい、来館者にサイエンスイラストレーターの仕事に興味を持ってほしいと思っています。慶賀に負けないサイエンスイラストレーターが長崎から誕生し、一緒に恐竜の姿を世界に発信できればうれしいです。

※令和3年6月7日 長崎新聞掲載

長崎の化石 ― 鎧竜類

長崎の化石 ― 鎧竜類

様々な姿で人々を魅了している恐竜には、アルマジロのようにも見える「鎧竜類」と呼ばれるグループがいます。四足歩行の植物食恐竜で、重心が低く、硬い骨でできた鎧のようなものを身にまとっています。おそらく、肉食恐竜に襲われても、じっと耐え忍いだり、物陰に隠れたりして過ごしていたのではないかと考えられています。中には、尾にハンマーのようなコブを持つ種類もいたことから、それを振り回して、肉食恐竜と戦っていたようです。2017年には、「奇跡の恐竜」と呼ばれる鎧竜類のミイラの化石が公開され、世界中の研究者を驚かせました。内臓等の痕跡も残っていたことから、恐竜の体内の仕組みを理解するうえで、とても貴重な情報源となっています。

長崎市では、2014年に小さな歯の化石が発見され、北海道夕張市や富山県富山市、兵庫県丹波市、熊本県御船町に次ぐ、5例目の化石となりました。2017年には福井県勝山市でも鎧竜類の歯の化石が発見されましたが、まだまだ化石の数が少なく、断片的なものが多いことから、日本の鎧竜類については、ほとんどわかっていません。そのため、これからも調査が続く長崎市からの追加標本の発見が期待されています。

※長崎ケーブルメディアTVガイド6月号掲載

生き物の学名

生き物の学名

ヒトは古来より、身の回りの生き物と共生しながら、文化を発展させてきました。しかし、それらの名前は地域によって異なることが多く、近代の自然科学的な分類とは別次元のものでした。おそらく多くの方々にとって、学問的な名前は不必要なものかもしれません。しかし、その生き物を科学的に理解する場合には、世界共通のルールにのっとった学名が必要となります。

現在、自然科学分野で採用されている学名は、属名と種小名で構成されており、ヒトの場合は、「ホモ・サピエンス」となります。このような表し方は「二名法」と呼ばれ、スウェーデンの博物学者カール・フォン・リンネ(1707-78)によって確立されました。学名をつけるには、その種の基準となる唯一無二の標本が必要であり、永続的に博物館等で管理されることとなっています。これを「ホロタイプ(正基準標本)」といいます。

日本の生き物については、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796-1866)が長崎で集めて欧州に持ち帰った標本群がきっかけとなり、世界的に広く知られるようになりました。その中には、ニホンオオカミのような絶滅動物や、ニホンザルのような日本人にとってなじみ深い生き物も含まれています。現在、それらのホロタイプは、オランダのライデン市にあるナチュラリス生物多様性センターで大切に管理されています。

これまで長崎市にはホロタイプなどの標本を管理できる博物館がなく、市内で新種の生き物が発見されても、市外の施設で管理される状況でした。しかし、10月29日に野母崎地区にオープンする市恐竜博物館では、市内で発見された古生物が新種となった場合に、適切な管理が行える収蔵庫と人的な体制が整えられます。また、シーボルトの縁で交流を深めているナチュラリス生物多様性センターとの連携事業も展開していく予定です。県内で自然科学分野の教育普及活動を行っている方々とも連携しながら、長崎の自然史全体への関心が高まるような活動を行っていきたいと考えています。

これらは、国連が定めた「持続可能な開発目標」(SDGs)の達成に向けた、確かな一歩ともなるはずです。  

※令和3年5月3日 長崎新聞掲載

長崎の化石 ― ハドロサウルス類

長崎の化石 ― ハドロサウルス類

長崎市からは多種多様な恐竜の化石が発見されていますが、2004年に鳥脚類と呼ばれる植物を食べるグループの足の骨が発見され、その後も同じグループの化石の発見が続いています。今回は、「長崎県初の恐竜化石」となり、多くの化石が発見されている鳥脚類についてご紹介します。

鳥脚類は、全長が1mから15mほどまで、多様な種類がいました。特に目立った武器がないことから、肉食恐竜から逃げ回ることが多かったと考えられています。白亜紀後期には、ハドロサウルス類と呼ばれるグループが世界中で繁栄しており、長崎市から発見された化石も、その仲間と発見されています。ハドロサウルス類には、パラサウロロフスのように、頭にある“とさか”の中の空洞を使って、空気を振動させ、遠くまで響く鳴き声を出していたと考えられているものもいます。

長崎市では、科学館にパラサウロロフスの全身骨格を展示しており、恐竜博物館では別の種類の鳥脚類の全身骨格を展示します。かつて、長崎市にいたハドロサウルス類の詳しい種類は、現在も調査中ですが、たくさんのハドロサウルス類が植物を食べながら生活する様子が、あちこちでみられたのではないかと考えています。

※長崎ケーブルメディアTVガイド5月号掲載

 

鳥脚類

鳥脚類

人気のある恐竜には、鋭い歯や角があったり、とげやこぶのついた尾があったりします。また、非常に長い首をもっていたり、背中に板状の骨があったりします。そのような分かりやすい特徴がある種類は、恐竜グッズのデザインに採用されやすいため、結果として子供たちに覚えられやすくなるのです。

しかし、全ての恐竜が派手で個性的な姿をしていたわけではありません。そこで今回は、地味に見えても実は大繁栄していた恐竜のグループである「鳥脚類」について紹介します。

植物食恐竜の鳥脚類には、全長が1メートル程度の小型種から、15メートルにもなる大型種までいて、2足歩行だったり、4足歩行だったりします。どの種類にも、目立った武器のようなものがないことから、恐竜図鑑ではティラノサウルスなどの肉食恐竜に、一方的に襲われている姿ばかりが描かれています。

しかし、このグループの化石は、全ての大陸で発見されており、ミイラとして皮膚の痕跡が残っているものもあります。また、子供から大人まで非常に多くの化石が発見されていることから、群れを作り、子育てをするなど、ある程度の社会性があったと考えられています。さらに、最も進化した鳥脚類のハドロサウルス類には「デンタルバッテリー」と呼ばれる、植物をすりつぶすことに特化した歯があり、効率的に栄養を摂取していたと考えられています。鳥脚類は、他の恐竜にはないしたたかな戦略で、弱肉強食の恐竜時代を生き抜いていたのです。

長崎市では、日本で初めて発見されたティラノサウルス科の大型種の化石が注目されていますが、最初に発見された恐竜はハドロサウルス類です。大きな大腿骨の一部や、すり減って抜け落ちた歯など、非常に多くの化石が発見されています。

日本で初めて全身骨格が復元されたフクイサウルスが鳥脚類だったように、長崎市で最初に全身像がわかる恐竜も、鳥脚類の仲間かもしれません。長崎市恐竜博物館(10月29日開館)では、このグループの展示にも力を入れます。人間の世界でも個性が尊重され、派手な活躍が注目されがちですが、荒々しい恐竜時代を生き抜いた鳥脚類の展示を通して、地味でもしたたかに生きていくことのすごみを知ってもらえればと思っています。

 

※令和3年4月1日 長崎新聞掲載

古生物学者の冒険

古生物学者の冒険

皆さんは「冒険」という言葉から何を連想しますか。私は幼少期に見た「インディ・ジョーンズ」という映画が思い浮かびます。主人公が危険を冒して宝物を探す姿が「冒険」という言葉のイメージにピッタリと重なるためです。実は、化石を研究する古生物学者の野外調査は、そんな「冒険」という言葉がふさわしいものなのです。

1923年4月17日、アメリカ自然史博物館のR.C.アンドリュース(1884-1960)は中央アジア探検隊を率いて、北京からモンゴルに向けて出発しました。当初はヒトの祖先の化石を探すことが目的でしたが、プロトケラトプス等の貴重な恐竜化石を発見し、世界初となる恐竜の卵も発見しました。近年では、アンドリュースたちが調査した「炎の崖」が恐竜研究の聖地とされ、北京を出発した4月17日が「恐竜の日」と呼ばれています。ちなみに、端正な顔立ちで、テンガロンハットをかぶり、鞭や小銃を備えたアンドリュースは、「インディ・ジョーンズ」の主人公のモデルの一人とされています。

私自身も国内外で冒険のような体験をしながら化石を発掘してきましたが、今後は長崎市で、恐竜化石という宝物を探すための冒険が続きそうです。

※長崎ケーブルメディアTVガイド4月号掲載

 

暴君竜

暴君竜

地球史の中で他を圧倒する力を持ち、その時代の支配者のような風格を持つ生き物がいました。研究者は、そのような生き物に対して、畏敬の念を込めて「支配者」や「王様」という意味の学名を付けることがあります。その中でも、「暴君竜」という意味の学名を付けられた恐竜がいます。それが「ティラノサウルス」です。

今から6600万年前(白亜紀後期)の北米大陸にいたティラノサウルスは、強靭(きょうじん)な顎と太くて折れにくい歯を使って、トリケラトプスなどの他の恐竜を骨ごと食べていたと考えられています。最近の研究では、他の肉食恐竜よりも嗅覚が優れていたと考えられており、暗闇や物陰に隠れた獲物を見つけ出すことができたとされています。しかしながら、全長13メートルにもなる巨体に不釣り合いな小さな腕の用途については、今もよくわかっていません。そのため、いまだに謎の多い生き物とされています。

地球史上まれにみる存在感を放つ暴君竜の祖先は、1億6000万年前(ジュラ紀中期)までに、アジアで誕生していたと考えられています。全長は1~3メートル程度で、同時代の他の恐竜よりも弱い存在だったようです。中国で発見された原始的な種類の化石には、はっきりとした羽毛の痕跡があったため、より進化した種類にも羽毛があったのではないかと考えられています。

日本では比較的小型な種類の化石が発見されていましたが、2014年に長崎市で発掘された2本の歯の化石から、全長10メートルに達する大型種もいたことが分かりました。世界一有名で最も人気のある恐竜と言っても過言ではないティラノサウルスに近縁な大型種が、8100万年前の長崎を支配していたのかもしれません。そして、その痕跡が今もこの大地に眠っているのかもしれません。

10月29日、長崎市野母町に市恐竜博物館が開館します。世界最大級で、全身の8割が化石として発見されたティラノサウルス(愛称:トリックス)の全身骨格のレプリカが世界で初めて展示されるほか、長崎にいたティラノサウルスの仲間を再現した、オリジナルデザインのロボットも展示されます。

さらに同博物館では、長崎にいた暴君竜の真の姿を解明するための研究も行われます。ぜひ、博物館で暴君竜について学習し、太古の支配者に思いをはせてみてはいかがでしょうか。

 

※令和3年3月4日 長崎新聞掲載

オランダ国民が熱望したティラノサウルス

オランダ国民が熱望したティラノサウルス

約6600万年前、ティラノサウルス・レックスと呼ばれる肉食恐竜は、強力な顎で他を圧倒する陸上の王者でした。この恐竜は映画等にも度々登場することから、世界一有名で最も人気のある恐竜とされています。

その化石の産出国であるアメリカとカナダを除き、全身骨格の実物化石が初めて常設で展示されたのが、オランダのライデン市にある国立博物館のナチュラリス生物多様性センターです。2013年に同センターは、アメリカの化石発掘会社との共同発掘により、全身の8割にもなる化石を発見しました。骨の特徴から老齢なメスだと考えられ、オランダのベアトリックス前女王に因んで、トリックスと名付けられました。化石の購入と運搬には数億円もの費用が必要でしたが、オランダ国民の寄付によって大部分が賄われ、同センターに運ばれてきた際には大観衆が沿道を埋め尽くしました。

そんなオランダ国民が熱望した化石のレプリカが長崎市恐竜博物館にやってきます。シーボルトの標本を保管する同センターと長崎市の特別な関係により、レプリカの展示が許可されたためです。ぜひ、オランダの方々への感謝の気持ちを持って、トリックスを観察していただければと思っています。

※長崎ケーブルメディアTVガイド3月号掲載

 

恐竜少年の歩み

恐竜少年の歩み

恐竜は子どもに人気があります。このことは、バラエティーに富んだ恐竜柄の子ども服を見ると、つくづくそう実感します。実際に、私が講演をする時も、列をなして質問に来る子どもたちの多くが、恐竜のプリントTシャツを着ていました。世代によって子どもの頃に好きなアニメキャラクターは変わっていきますが、恐竜の人気は衰えることがないようです。

私も幼少期から恐竜が大好きでした。博物館や書店に行くたびに、恐竜グッズや図鑑を親にねだっては困らせていました。今回は、そんな恐竜少年が研究者になるまでの一例として、これまでに私が歩んだ道のりを紹介します。

私が友人たちと違う道に歩みだしたのは、中学生の頃でした。一般的に青年期を迎えると恐竜への関心が薄れるもので、次々に恐竜好きな友人が気配を消していきました。それでも私は周囲に目もくれず、恐竜や化石が好きだと公言し続けていました。

そんな時に地元の博物館で印象的な化石と出合いました。小さな魚の頭が、大きな魚のおなかを突き破って外に出てきている化石でした。相打ちとなった2匹の魚で、一瞬の出来事が1億年近く、そのままの姿勢で保存されていたのです。

一瞬が半永久的に残るという矛盾に気づいた私は、もっと深く知りたいという欲求にかられ、研究者になりたいと思うようになりました。同時に、ものづくりや会話も好きな自分にとって、展示物を作ったり来館者に解説したりする学芸員は、最適な職業なのではないかと考えるようになりました。

その頃に描いた人生設計に基づき、高校では理系コースを選択し、地質学や古生物学が学べる大学に進学しました。その後、脊椎動物化石が研究できる大学院に進学したことで、追い求めてきた古生物学者に少しずつ近づいていきました。

私の場合は、博士号取得前の未熟な研究者でありながら、運よく佐賀県立宇宙科学館に学芸員として勤め始め、転職して現職に就くことができました。長崎市に来てからは恐竜博物館の建設に携わり、念願だった恐竜の研究が行える環境が整いつつあります。

おそらく、恐竜少年の中ではかなり幸運なケースでしょう。そのことに感謝しながら、後進にバトンを渡す時まで、しっかりと歩んでいきたいと思っています。

※令和3年2月4日 長崎新聞掲載

2つの名前

2つの名前

私たちには2つの名前があります。1つ目は生き物としての学名で、「ホモ・サピエンス」と呼ばれます。2つ目は戸籍上の氏名で、私の場合は「中谷大輔」となります。このように学名とは別に名前をもつ恐竜がいます。特に有名なものはティラノサウルス・レックスという大型の肉食恐竜です。

この恐竜が研究者だけではなく、一般の方々にも人気があることから、保存状態の良い化石には愛称がつけられています。その中でも、最も多くの博物館でレプリカが展示されているのが「スタン」という愛称がつけられたものです。発見者の名前に因んで名づけられたその実物化石には、昨年10月に競売で33億円を超える値がつけられました。他にも研究者がスコッチ・ウィスキーで祝杯をあげたことにより「スコッティ」と名付けられたものもあり、その頭骨のレプリカが長崎市科学館に展示されています。今年10月29日に開館する長崎市恐竜博物館には、オランダのベアトリクス前女王に因んで「トリックス」と名づけられた化石の全身骨格のレプリカが、世界で初めて常設で展示される予定です。ぜひとも科学館や博物館を訪れた際は、それぞれの顔立ちをしっかりと見てあげてください。

※長崎ケーブルメディアTVガイド2月号掲載

 

化石のロマン

化石のロマン

化石にはロマンがあるといわれます。空想の世界に浸れるきっかけを与え、その生き物がいた時代に「タイムスリップ」したり、進化に費やした時の流れを俯瞰(ふかん)することもできたりします。大昔の生き物の情報だけではなく、関わった人々の思いや物語も秘められているため、壮大な歴史ロマンを感じられることもあります。

私が首長竜の調査で訪れた米国フィラデルフィア自然科学アカデミーには、大変興味深い化石が厳重に保管されていました。この博物館に所属していた古生物学者エドワード・D・コープ(1840―97年)が「エラスモサウルス」と名付けた最初の化石です。

コープは未知の生物の特徴を見いだし、全身の骨格図を論文に掲載しました。しかし、あろうことか、背骨の向きを間違え、頭を尾の先に配置して描いてしまったのです。まさに、「弘法(こうぼう)も筆の誤り」という例えにふさわしい出来事でした。

出版直後、別の古生物学者からの指摘を受け、即座にコープは論文を自腹で回収し、抹消しようと試みました。しかし、世に出た論文を完全に消し去ることは難しく、米エール大学のチャールズ・O・マーシュ(1831―99年)の手元にも届いてしまいました。化石を巡ってコープと熾烈な争いをしていたマーシュは、その誤りを声高に非難するとともに、その論文のコピーをばらまいたとされています。コープも負けじと、事あるごとにマーシュへの嫌がらせを繰り返し、2人の醜い争いは激化していきました。この出来事は、「化石戦争」として、恐竜図鑑でも紹介されることが多いエピソードですが、2人が積み重ねた研究成果は膨大で、米国の古生物学を飛躍的に発展させました。

私は、その首長竜の化石を手に取りながら、150年ほど前のコープの無念さに思いをはせ、基本的な情報を見落とさないよう、慎重に研究を進めなければならないという思いにかられました。

今年10月開館する長崎市恐竜博物館でも、さまざまな人間ドラマが繰り広げられていくと思います。発見者や研究者だけではなく、恐竜博物館の来館者や地域の方々も登場するような物語が生まれるといいなと思っています。少なくとも、後世に語り継がれても恥ずかしくないものにはしていきたいです。

※令和3年1月7日 長崎新聞掲載

長崎県が日本初の恐竜化石産地!?

長崎県が日本初の恐竜化石産地!?

日本人による恐竜の研究は、1934年に樺太(現在のロシア連邦サハリン)で発見されたニッポノサウルスの化石に始まります。しかしながら、その後は国内で発見されることがなく、次第に日本では恐竜の化石が見つからないと考えられるようになりました。こういった風潮の中、1962年に高島炭鉱の海底坑道で発見された化石が、東京大学の高井冬二教授によって、トラコドンと呼ばれる恐竜のものと鑑定されました。このことにより、日本にも恐竜がいたと考える研究者や化石収集家が増え、次々に全国各地から恐竜の化石が発見されるようになりました。

1994年に、トラコドンの化石が哺乳類のものであるとの研究成果が発表されたため、残念ながら長崎県が日本初の恐竜化石の産地ではなくなりました。しかし、日本では恐竜の化石が見つからないという先入観を壊し、恐竜への関心を高めたという点では、とても意義のあるものでした。不思議なことに、現在では多種多様な恐竜の化石が長崎市や西海市で発見されています。今年の10月29日には、恐竜博物館が長崎市の野母崎地区で開館することから、再び、長崎県が日本の恐竜研究で注目を集める場所になってきています。

※長崎ケーブルメディアTVガイド1月号掲載

 

研究の面白さ ~探偵のように化石から推理~

研究の面白さ ~探偵のように化石から推理~

2021年10月29日に長崎市野母崎地区に恐竜博物館がオープンします。長崎市から発見された恐竜の化石を中心に、太古の長崎について学べる博物館として建設されます。

恐竜は子供が楽しむもので、大人が趣味や教養として学ぶようなものではないと思われているかもしれません。それでも私は、恐竜が老若男女、国籍や宗教の垣根を越えて、誰しもが親しむことができる珍しい存在であり、それらの専門的な知識が、趣味や教養として十分に楽しめるものだと考えています。そこで、今回は、私なりに思う恐竜研究の面白さについて紹介します。

古生物学者が行う研究は、推理小説に登場する探偵の推理や調査と似ています。化石となった生物の身元や類縁関係を調べ、現場の様子から遺骸が荒らされた痕跡がないか等を調べます。骨の表面に残された傷跡や病気の痕跡を通して死因を推定したり、現場周辺で発見された他の動物の歯の化石から捕食者を特定したりします。

ただし、化石は断片的なものであることがほとんどです。身元や類縁関係が判明すればよい方で、その時点で分からなかったことは次世代の研究者に託すことになります。

例えば、恐竜と鳥の関係性を調べた研究があります。両者が類縁関係にあるという意見は150年ほど前から注目されていましたが、証拠が不十分とされてきました。しかし、25年ほど前に、羽毛の痕跡が残った恐竜の化石が中国で続けて発見されました。これにより、現在では鳥が恐竜の生き残りだと広く受け入れられています。最近では、鳥の生態を参考にして、恐竜の生きていた様子を解明しようとする研究も増えています。

一見して、恐竜の研究は終わりの見えない謎解きのようですが、一つでも革新的な発見があれば、劇的に進展するという醍醐味(だいごみ)があります。さらに、革新的な発見をする人は必ずしも研究者ばかりではありません。偶然見つけた化石により、昨日まで恐竜に興味がなかった人が、最先端の研究の中心に躍り出てくることさえあるのです。

このような面白さを研究者だけで独占するのではなく、長崎市の恐竜博物館を通して、少しでも伝えていくことができればと思っています。

※令和2年12月3日 長崎新聞掲載

“恐竜”という言葉を作った長崎人

“恐竜”という言葉を作った長崎人

歴史的な偉人を多く輩出してきた長崎県は、恐竜や化石の分野においても重要な人物を輩出しています。出島の通詞の子として生まれた横山又次郎(1860-1942)は、ドイツで古生物学を学んだ後、東京帝国大学の教授として日本の化石研究の基礎を築きました。また、数多くの教科書を執筆し、「恐竜」や「始祖鳥」などの学術用語を作り出したことなどから、「日本の古生物学の父」と呼ばれています。

横山教授の功績で特筆すべきは、研究者や学生のための専門書だけではなく、広く一般に向けたものも多く著したところにあります。世界情勢を俯瞰していた横山教授は、科学が盛んな国が栄え、そうでない国は衰えるという危機感を持っていました。そのため、科学が盛んになる一番の近道として、国民にその価値を伝えるための書籍を執筆し続けたのです。

時代が変わっても、科学の面白さを広く一般に伝え続けることは、研究者や教育者の役目ではないかと思っています。研究施設であり、教育施設である長崎市の恐竜博物館では、研究室での作業を見学できるオープンラボを整備し、展示に研究成果を反映し続けることで、科学への関心を高める役目を全うしたいと思っています。

※長崎ケーブルメディアTVガイド12月号掲載

考古学と古生物学

考古学と古生物学

 「大昔の生き物のことを研究しています」と私が言うと、「考古学が専門なんですね」と言われることがよくあります。おそらく、大昔の事を調べる学問として、考古学が最も馴染みのある学問なのだと思われます。

確かに、考古学は大昔の人々がつくりだした文明や遺跡等を研究する学問です。日本では社会や歴史の一部として、文系のイメージが強いかもしれません。しかしながら、大昔の生き物を研究する学問は、生物学や地学に関係が深く、古生物学と呼ばれます。そのため、私は高校や大学、大学院で理学系の分野を専攻してきました。 現在、これほどまでに古生物学の認知度が低いのは、古生物学者による周知不足によるものなのかもしれません。

恐竜が好きだったが、高校や大学で文系コースを選択していたため、恐竜博士になることを断念したという話を何度も聞いたことがあります。もちろん、本人の問題ではありますが、古生物学の認知度が高ければ、そのように後悔する学生の数は減らせたかもしれません。2021年10月に長崎市の野母崎にできる恐竜博物館では、恐竜のことが好きな子供たちに古生物学のことを知ってもらい、進学の際の参考になればと思っています。

※長崎ケーブルメディアTVガイド9月号掲載

恐竜展の集客力

恐竜展の集客力

博物館に勤める職員の間では「恐竜展を開催すれば必ず入館者数が増加する」ということが真しやかに囁かれています。また、昨年の夏に国立科学博物館で開催された「恐竜博2019」には約68万人が訪れ、その年の博物館や美術館等で行われた展覧会の中で最も多かったとする調査結果も出ています。コストや会期の違い等から、費用対効果としての比較はできないのですが、昨年開催されたサザンオールスターズのコンサートの集客数(22公演で約66万人)をも上回る数字で、恐竜が集客力のあるコンテンツだということは間違いないようです。

このことは、裏を返せば経済活動に与える影響が大きいことを示しており、博物館だけでなく、参画企業にとってもメリットが大きいと考えられます。長崎市の野母崎地区に2021年10月に開館する恐竜博物館は、国立科学博物館のような大規模な施設ではないのですが、そのような博物館で開催された企画展を誘致できる企画展示室を備えています。感染症対策等の考慮すべき事項が多い現状ではありますが、様々な企業と連携しながら、私も来館者満足度の高い企画展の開催に貢献できればと思っています。

※長崎ケーブルメディアTVガイド10月号掲載

龍の街 ~〝恐竜の名付け親″は長崎出身~

龍の街 ~〝恐竜の名付け親″は長崎出身~

長崎市ではあらゆる所で「龍」という文字を見かけます。一番多いのが、坂本龍馬に関するものです。ほかにも、長崎くんちの龍踊り(じゃおどり)や川原大池(宮崎町)に伝わる阿池姫(おちひめ)伝説の龍、龍が空けた穴とされる蚊焼町岳路地区の龍穴など、「龍」の文字が身近に感じられる街なのかもしれません。そんな龍の街で育った長崎人が「恐竜」(恐龍)という言葉を生み出したことをご存知でしょうか。

「恐竜」は、1841年にイギリスの解剖学者リチャード・オーウェンによって提唱された「Dinosauria」を語源とする訳語です。「Dinosauria」には、ギリシャ語で「恐ろしい蜥蜴(とかげ)」という意味があることから、「恐蜥(きょうせき)」や「恐蜴(きょうえき)」と訳されたこともありました。しかし、現在では恐竜と訳すことが一般的になっています。

最初に「恐龍」と訳した人物は、長崎出身で「日本の古生物学の父」と呼ばれる横山又次郎(1860―1942年)とされています。江戸時代、出島で阿蘭陀通詞をしていた横山家の分家7代又次右衛門の次男として生まれました。長崎市で過ごした時期の記録はあまり残っていませんが、幕末期の「英語伝習所」を源流に1874年~77(明治7~10)年に存在した「長崎英語学校」(県立長崎西東高、西高の前身)に通っていたことがわかっています。

その後、上京し、旧東京大学を卒業。明治政府の農商務省で地質調査に従事した後、ドイツへ留学し、最先端の古生物学を学んだとされています。同時期のドイツにいた森鴎外とも交流があったとされています。帰国後、東京帝国大学の教授として、後進の育成に努め、多くの書物を残しました。

「恐龍」という言葉は、95(明治28)年に発行された横山教授による著書「化石学教科書・中巻」に登場するものが、最も古い記録とされています。現在、私たちが恐竜に対して、神秘的に感じる魅力は、横山教授により採用された「龍」という文字による影響なのかもしれません。そして、横山教授がそのように訳した背景には「龍の街」の影響が少なからずあったのかもしれません。

近年、長崎市や西海市では恐竜の化石が次々に発見され、来年10月29日には長崎市野母崎地区に市恐竜博物館がオープンします。このことから、横山教授が日本に伝えた「龍」を私たちの街で見かける機会がこれまで以上に増えていきます。

※令和2年11月5日 長崎新聞掲載

ジュラシックパークの効用

ジュラシックパークの効用

恐竜映画の金字塔とされる「ジュラシックパーク」は、卓越した映像技術で世界中の人々を驚かせただけでなく、随所に見せるマニアックな演出で恐竜ファンをも唸らせてきました。特に恐竜ファンの間で語られるのが、第1作目終盤で、ヴェロキラプトルという小型の肉食恐竜が、キッチンに逃げ込んだ子供たちを扉の小窓から覗き込むシーンです。このシーンが秀逸とされるのが、恐竜の息によって小窓が少し曇るところにあり、変温動物と考えられてきた恐竜が一定の体温を保ち、温かな息を吐くことができたとする仮説をさりげなく表現しているのです。

 この映画の上映時に小学生だった私は、このことに気付けませんでしたが、恐竜が怪獣とは違い、科学的に証明される生き物だと感じたことは覚えています。現在、「ジュラシックパーク」に魅了された子供たちが古生物学者となって世界中の博物館や大学に勤めています。おそらく、この映画がきっかけとなって、研究者を目指す子供が飛躍的に増加した結果なのだと思います。

2021年10月29日には長崎市恐竜博物館が開館し、2022年夏にはジュラシックパークの最新作が公開されることから、恐竜博士を目指す子供たちが増えるのではないかと期待しています。

 ※長崎ケーブルメディアTVガイド11月号掲載