中谷大輔さんによる、恐竜についてのコラムをご紹介します!
コラム筆者紹介

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中谷大輔

長崎市 教育委員会 恐竜博物館準備室 学芸員

1984年生まれ、北九州市出身。山口大卒。2012年鹿児島大大学院理工学研究科博士後期課程単位取得退学。同年から佐賀県立宇宙科学館(武雄市)学芸員。2017年10月から現職

龍の街 ~〝恐竜の名付け親″は長崎出身~

龍の街 ~〝恐竜の名付け親″は長崎出身~

長崎市ではあらゆる所で「龍」という文字を見かけます。一番多いのが、坂本龍馬に関するものです。ほかにも、長崎くんちの龍り(じゃおどり)や川原大池(宮崎町)に伝わる阿姫(おちひめ)伝説の龍、龍が空けた穴とされる蚊焼町岳路地区の龍穴など、「龍」の文字が身近に感じられる街なのかもしれません。そんな龍の街で育った長崎人が「恐竜」(恐龍)という言葉を生み出したことをご存知でしょうか。

「恐竜」は、1841年にイギリスの解剖学者リチャード・オーウェンによって提唱された「Dinosauria」を語源とする訳語です。「Dinosauria」には、ギリシャ語で「恐ろしい蜥蜴(とかげ)」という意味があることから、「恐蜥(きょうせき)」や「恐蜴(きょうえき)」と訳されたこともありました。しかし、現在では恐竜と訳すことが一般的になっています。

最初に「恐龍」と訳した人物は、長崎出身で「日本の古生物学の父」と呼ばれる横山又次郎(1860―1942年)とされています。江戸時代、出島で阿蘭陀通詞をしていた横山家の分家7代又次右衛門の次男として生まれました。長崎市で過ごした時期の記録はあまり残っていませんが、幕末期の「英語伝習所」を源流に1874年~77(明治7~10)年に存在した「長崎英語学校」(県立長崎西東高、西高の前身)に通っていたことがわかっています。

その後、上京し、旧東京大学を卒業。明治政府の農商務省で地質調査に従事した後、ドイツへ留学し、最先端の古生物学を学んだとされています。同時期のドイツにいた森鴎外とも交流があったとされています。帰国後、東京帝国大学の教授として、後進の育成に努め、多くの書物を残しました。

「恐龍」という言葉は、95(明治28)年に発行された横山教授による著書「化石学教科書・中巻」に登場するものが、最も古い記録とされています。現在、私たちが恐竜に対して、神秘的に感じる魅力は、横山教授により採用された「龍」という文字による影響なのかもしれません。そして、横山教授がそのように訳した背景には「龍の街」の影響が少なからずあったのかもしれません。

近年、長崎市や西海市では恐竜の化石が次々に発見され、来年10月29日には長崎市野母崎地区に市恐竜博物館がオープンします。このことから、横山教授が日本に伝えた「龍」を私たちの街で見かける機会がこれまで以上に増えていきます。

 

※令和2年11月5日 長崎新聞掲載

ジュラシックパークの効用

ジュラシックパークの効用

恐竜映画の金字塔とされる「ジュラシックパーク」は、卓越した映像技術で世界中の人々を驚かせただけでなく、随所に見せるマニアックな演出で恐竜ファンをも唸らせてきました。特に恐竜ファンの間で語られるのが、第1作目終盤で、ヴェロキラプトルという小型の肉食恐竜が、キッチンに逃げ込んだ子供たちを扉の小窓から覗き込むシーンです。このシーンが秀逸とされるのが、恐竜の息によって小窓が少し曇るところにあり、変温動物と考えられてきた恐竜が一定の体温を保ち、温かな息を吐くことができたとする仮説をさりげなく表現しているのです。

 この映画の上映時に小学生だった私は、このことに気付けませんでしたが、恐竜が怪獣とは違い、科学的に証明される生き物だと感じたことは覚えています。現在、「ジュラシックパーク」に魅了された子供たちが古生物学者となって世界中の博物館や大学に勤めています。おそらく、この映画がきっかけとなって、研究者を目指す子供が飛躍的に増加した結果なのだと思います。

2021年10月29日には長崎市恐竜博物館が開館し、2022年夏にはジュラシックパークの最新作が公開されることから、恐竜博士を目指す子供たちが増えるのではないかと期待しています。

 ※長崎ケーブルメディアTVガイド11月号掲載