#007 ながさきと⽂学 遠藤周作-1

#007 ながさきと⽂学 遠藤周作 #007 ながさきと⽂学 遠藤周作


⻑崎市|地域文化発信事業 「遠藤周作を偲ぶ⼀⽇」(⽂芸)など、遠藤⽂学の魅⼒にふれるイベントが複数開催されます。本ページでは、ながさきと⽂学の中でも遠藤周作にフォーカスし、代表作『沈黙』と外海地区とのゆかり、関連観光スポットについてご紹介します。

【⽂化祭2025|イベント情報】⽂学関連イベント

事業名:⻑崎市|地域文化発信事業「遠藤周作を偲ぶ⼀⽇」(⽂芸)
会場:ベネックス⻑崎ブリックホール 国際会議場
開催⽇:10⽉11⽇(⼟)
概要:⻑崎市ゆかりの作家・遠藤周作の遺徳を偲ぶため、映像上映などを実施。イベントを通じて、遠藤周作と遠藤⽂学の魅⼒に親しむイベントです。

事業名:⻑崎市|地域文化発信事業 「遠藤周作と⼩説「沈黙」の舞台をめぐるバスツアー」(⽂芸)
会場:外海地区⼀円
開催⽇:11⽉15⽇(⼟)
概要:⻑崎市ゆかりの作家・遠藤周作の⼩説『沈黙』の舞台となった外海地区をめぐる⽇帰りのバスツアーです。遠藤周作ゆかりの地を訪れるとともに、外海地区の歴史にもふれることで、より深く遠藤⽂学を堪能することができます。

【遠藤周作とキリシタンの⾥ 外海】

遠藤周作は、1923年の東京⽣まれで、12歳で洗礼を受けました。旧制灘中学校を卒業後、慶應技術⼤学へ進学、27歳でフランスのリヨン⼤学に留学。1955年、⼩説『⽩い⼈』で第33回芥川賞を受賞し、⼩説家として脚光を浴びます。その⽣涯においては、キリスト教を題材とした作品を数多く執筆し、1966年、代表作の⼀つで⻑崎が舞台である『沈黙』が⾕崎潤⼀郎賞を受賞します。遠藤が初めて⻑崎を訪れた際、⾜の指の痕が残された踏み絵を⽬にしたことがきっかけとなって、禁教期のキリシタンの姿を描いた名作『沈黙』の誕⽣につながりました。遠藤は執筆にあたって⻑崎のキリシタンゆかりの地を取材し、その中でも⻑崎市外海地区は『沈黙』で描かれた「トモギ村」のモデルになったといわれています。

【【神様が僕のためにとっておいてくれた場所】

1987 年、外海地区に建⽴された“沈黙の碑”は、出津⽂化村の⼊り⼝からすぐの⾼台、五島列島へ続く広⼤な海 ⾓⼒灘(すもうなだ)と⻑崎随⼀の美しい⼣景を⼀望できる絶家地にあり、遠藤⾃⾝も「神様が僕のためにとっておいてくれた場所」と評しています。“沈黙の碑”には、遠藤が書いた次の
⾔葉が刻まれています。「⼈間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」

【キリシタン⽂学の世界に浸る 遠藤周作⽂学館】

遠藤周作の没後、遺族のご厚意により、⻑崎市外海地区が⽂学館建設の地に選ばれ、2000年、遠藤周作⽂学館が開館しました。約3 万点にも及ぶ遠藤の遺品や直筆原稿、膨⼤な蔵書などを収蔵しており、遠藤周作の⾜跡を伝える展⽰はもとより、遠藤⽂学に関わる資料収集、保存、展⽰、及び閲覧と調査研究、情報発信の諸機能を備えています。併設する思索空間アンシャンテでは、遠藤が愛した外海の美しい海景をゆっくりと⾒渡すことができます。

【禁教下の密かな信仰 潜伏キリシタン関連遺産】

2018年6⽉、「⻑崎と天草地⽅の潜伏キリシタン関連遺産」は、世界⽂化遺産に登録されました。潜伏キリシタンの⽂化的伝統が形成され、潜伏キリシタンが密かに信仰を維持するために様々な形態で他の宗教と共⽣を⾏い、潜伏キリシタンの伝統が終焉を迎える、その歴史の流れを物語る2 県8市12の構成資産で形成されています。

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