
#006 ながさきと平和
⻑崎市|地域⽂化発信事業 「被爆80年記念 原爆死没者名簿筆耕 森⽥孝⼦⼤書道展」(⽣活⽂化)など、平和について考えるきっかけとなるイベントが多数開催されます。本ページでは、ながさきと平和にまつわる関連観光スポットをご紹介します。
【⽂化祭2025|イベント情報】平和関連イベント
事業名:⻑崎市|地域文化発信事業 「被爆80年記念 原爆死没者名簿筆耕 森⽥孝⼦⼤書道展」(⽣活⽂化)
会場:国⽴⻑崎原爆死没者追悼平和祈念館 交流ラウンジ
開催⽇:10⽉18⽇(⼟)〜26⽇(⽇)
概要:⻑年原爆死没者名簿の筆耕に携わる森⽥孝⼦さんの書道展を開催します。被害者の言葉や平和への思いを書にし、展示します。
事業名:⻑崎市|地域文化発信事業「被爆80年記念 平和と⾳楽の調べ ⻑崎ピース交響詩 〜⾳楽が奏でる愛の4楽章〜」(⾳楽)
会場:⻑崎原爆資料館
開催⽇:10⽉12⽇(⽇)、26⽇(⽇)、11⽉2⽇(⽇)、9⽇(⽇)
概要:⻑崎県⾳楽連盟の協⼒のもと、「⻑崎ピース交響詩〜⾳楽が奏でる愛の4楽章〜」をテーマに
4回のコンサートを開催し、⾳楽を通して平和をより⾝近に感じていただきます。
事業名:⻑崎市|地域文化発信事業 「被爆80年記念 国連軍縮週間⾏事 市⺠のつどい」(⽂化⼀般)
会場:⻑崎原爆資料館前階段下広場 平和学習室
開催⽇:10⽉25⽇(⼟)
概要:被爆写真のパネル展、音楽ステージや紙芝居などの披露、戦時食の試食、平和のメッセージを込めた風船や缶バッチの作成などを通して、平和の大切さについて思いをはせていただけるイベントです。
事業名:⻑崎市|分野別交流事業 「被爆80年記念 ピーター・タウンゼントDAY 映画と朗読・⾳楽で紡ぐ平和への想い」(⽂化⼀般)
会場:⻑崎原爆資料館 ホール
開催⽇:11⽉22⽇(⼟)
概要:タウンゼント⽒と⻑崎で被爆した⾕⼝稜曄(すみてる)⽒の交流を描いた映画「⻑崎の郵便配達」の上映会及び「ナガサキの郵便配達」の朗読を通して、原爆のない世界を希求した2 ⼈の平和への想いに⼼を寄せていただきます。
⻑崎から世界平和を祈念する 平和公園
【平和公園】
1955年に開園された平和公園は、世界に向けて核兵器の禁⽌と世界平和の実現を呼びかける場所として記念的な意義を持つ⻑崎の都市公園で、爆⼼地地区(祈りのゾーン)・平和祈念像地区(願いのゾーン)・⻑崎原爆資料館地区(学びのゾーン)など5つのゾーンから構成されています。願いのゾーンは周囲を⾒渡せる丘陵の上にあり、当時原爆の被害を受けた地域を⼀望できる場所で、毎年8⽉9⽇に開催される⻑崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の会場となっています。
【願いのゾーン|平和祈念像】
平和祈念像は、1955年、⻑崎市⺠の平和への願いを象徴する恒久的なシンボルとして設置されました。⻑崎出⾝の彫刻家 北村⻄望によって制作された⾼さ9.7m、重さ30t、⻘銅製の巨⼤な彫刻で、神の愛と仏の慈悲を象徴し、天を指した右⼿は“原爆の脅威”を、⽔平に伸ばした左⼿は“平和”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”というメッセージが込められています。祈念像の背⾯には、作者 北村⻄望の⾔葉が直筆で刻まれています。
【祈りのゾーン|原爆落下中⼼地】
1945 年8 ⽉9 ⽇午前11 時02 分。アメリカのB29 爆撃機から投下された原⼦爆弾は松⼭町171 番地の上空約500m で炸裂し、⼀瞬のうちに多くの尊い⼈命を奪いました。現在、その地には落下中⼼地標柱として⿊御影⽯の碑が⽴てられています。園内には被爆当時の地層も残されており、そこには原爆によって壊された家の⽡やレンガのほか、約3,000 度の熱で焼け溶けたガラスなどが今も⼤量に埋没しています。
【学びのゾーン|⻑崎原爆資料館】
1945年8⽉9⽇午前11時02分、⻑崎市に原⼦爆弾が投下され数多くの命が失われました。現在の⻑崎原爆資料館は、⻑崎市の原爆被爆50 周年記念事業の⼀つとして、1996 年にそれまで被爆資料を展⽰していた⻑崎国際⽂化会館を⽴て替えて開館。原⼦爆弾が⼈類に及ぼした想像を絶する被害の状況を後世に伝えるとともに、⻑崎市⺠の平和への願いを広く国の内外に伝え、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に寄与するための施設として設置されています。「11時2分を指して⽌まった柱時計」などの資料や被爆の惨状を⽰す写真などが展⽰され、併せて原爆が投下されるに⾄った経過や世界の核兵器開発の歴史、そして⼈々の平和への願いなどについても紹介されています。
【学びのゾーン|国⽴⻑崎原爆死没者追悼平和祈念館】
2003年に開館された国⽴⻑崎原爆死没者追悼平和祈念館は、原⼦爆弾被爆者に対する援護に関する法律第41条の規定に基づいて、原⼦爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記し、恒久の平和を祈念するための施設として設置されました。館内には死没者の⽒名を記載した名簿が納められた追悼空間、原爆被爆に関する⼿記や関連図書を閲覧できる遺影・⼿記閲覧室、交流ラウンジなどがあります。施設上部には、原爆死没者の⽅々が求めた「⽔」をたたえる⽔盤が設置され、夜には光ファイバーによって1945年12⽉末までの推計原爆死没者数である約7万個の追悼のあかりが灯ります。