
#003 ながさきとオペラ
⻑崎市|地域⽂化発信事業 「~舞台は長崎~ オペラ「蝶々夫人」全幕公演」(⾳楽)を始めとして、⻑崎が舞台の世界的名作オペラ『蝶々夫⼈』をテーマとした各種⾳楽イベントを開催します。本ページでは、ながさきとオペラにまつわる歴史⽂化ストーリーをご紹介します。
【文化祭2025|イベント情報】オペラ「蝶々夫人」関連イベント
事業名:長崎市|地域文化発信事業「~舞台は長崎~ オペラ「蝶々夫人」全幕公演」(音楽)
会場:ベネックス長崎ブリックホール
開催日:11月1日(土)~2日(日)
概要:長崎が舞台の世界的名作オペラ「蝶々夫人」の全幕公演を行います。国内外で活躍する歌手、一流の指揮者・演出家とともに美しい旋律と壮大な演出で、心揺さぶる感動の舞台をお届けします。
事業名:長崎市|地域文化発信事業「長崎プッチーニフェスティバル2025」(音楽)
会場:ベネックス長崎ブリックホール
開催日:9月27日(土)~28日(日)
概要:長崎が舞台のオペラ「マダム・バタフライ(蝶々夫人)」をテーマとした音楽フェスティバルとして、クラシックコンサートや音楽、楽器の体験型イベントに加え、2016年以来となるマダム・バタフライ国際コンクールを開催します。
事業名:長崎市|地域文化発信事業「 ~長崎居留地 合唱とオペラの丘プロジェクト~ 合唱 オペラ「愛の妙薬」(音楽)
会場:①長崎居留地、②ベネックス長崎ブリックホール
開催日:①9月20日(土)~21日(日)②10月26日(日)
概要:「マダム・バタフライ」の舞台とされる旧外国人居留地で、地域の歴史や文化の魅力を発信します。また、ブリックホールではプロの音楽家とともにオペラ「愛の妙薬」をイタリア語で全幕公演します。
世界的名作オペラの舞台 長崎居留地
【グラバー園でみつけた「蝶々夫人」】
有名観光地 グラバー園内には長崎を舞台とした世界的に有名なオペラ『蝶々夫人』を作曲したプッチーニの像があります。『蝶々夫人』は、長崎の女性の悲恋を描いた物語です。アメリカ海軍中尉ピンカートンは長崎の内縁の妻として蝶々さんと結婚しましたが、蝶々さんは真実の愛だと信じ、帰国後も一心に待ち続けました。しかし、本妻と共に現れたピンカートンの姿に全てを悟り、蝶々さんは自ら命を絶ちます。第二幕冒頭の『ある晴れた日に』は、ピンカートンを待ち続ける蝶々さんの純真で切実な心情を歌う有名なアリアです。現在園内には、蝶々夫人のプリマドンナとして名を馳せた三浦環の像も立てられています。
【ジャポニズムの極地 蝶々夫人のルーツ】
そもそもオペラ『蝶々夫人』はどのように生まれたのでしょうか。作曲家 ジャコモ・プッチーニは、ダヴィッド・ベラスコの戯曲『蝶々夫人』を観て、オペラ化を思い立ったと言われています。このダヴィッド・ベラスコの戯曲には、更に原作として、ジョン・ルーサー・ロングの同名小説があります。このロングの小説を読むと、1895年頃、舞台は長崎居留地であったと推測されます。当時の長崎居留地の宣教師 アービン・コレルの妻が、ロングの実の姉 ジェニー・コレルでした。コレル夫妻は東山手十二番館に居住しており、一説ではそのときにアメリカ人船員と日本人女性の恋愛を目撃し、その話を弟のロングに伝えていたのではないか、また長崎が舞台の小説 ピエール・ロティ『お菊さん』などからもイメージを広げて、書き上げたのではないかと言われています。
このようにして、多くの創作物からアイデアのバトンを渡しながら、東洋の神秘の国 日本に思い焦がれるジャポニズムの極地 オペラ『蝶々夫人』は誕生したのです。また、プッチーニならではの美しいメロディーには、日本的な要素がちりばめられており、舞台美術にも日本らしさが取り入れられています。そのため、ストーリーだけではなく作品全体からジャポニズムを感じさせる芸術性豊かな作品となっています。
【唯一無二のプリマドンナ 三浦環】
日本最初の国際的プリマドンナ、三浦環。1884年2月22日、東京生まれ。幼少より箏、長唄、日本舞踊などを習っており、これが後の環の活躍の素地となりました。16歳で東京芸術大学の前身 東京音楽学校へ入学すると、瞬く間にその特筆した音楽の才能が見出され、1903年には日本初のオペラ公演『オルファイス』の主役を演じ、帝国劇場の専属プリマドンナとしても活躍しました。後に海外に渡った環は、1915年、ロンドンオペラハウスで『蝶々夫人』の主演を務めて大好評を博したことを皮切りに、その生涯において世界各国で2,000回以上も『蝶々夫人』の主演を演じました。作曲家 プッチーニからも「マダム・バタフライは、マダム・ミウラのために作られたもの」と究極の賞賛を受けたと言われています。