
#001 ながさきとお茶
長崎市|分野別交流事業 「茶道の祭典」(生活文化)は、どなたも気軽に日本の伝統文化 茶道に親しんでいただけるようなイベントです。本ページでは、ながさきとお茶にまつわる歴史文化ストーリーをご紹介します。
【文化祭2025|イベント情報】 茶道の祭典
事業名:長崎市|分野別交流事業 「茶道の祭典」(生活文化)
会場:長崎県庁(1階エントランスホール、8階展望室)
開催日:(裏千家)9月21日(日)、(表千家)10月12日(日)~13日(月・祝)
概要:裏千家、表千家が「茶道の祭典」と銘打ち茶会を開催します。日頃茶道に触れる機会のない方も楽しめるよう、お茶を点てる体験や長崎にちなんだ和菓子のおもてなしなどを行います。また、お茶をいただきながら8階展望室から眺める長崎港も格別です。両日程でそれぞれ工夫をこらしていますので、どちらも参加してお楽しみいただけます。
日本茶をヨーロッパへ 大浦慶とオルト
【巨万の富を生み出した、日本茶ビジネス】
大浦慶は、長崎三女傑の一人で、日本の製茶の輸出で富を築いた女商人です。18世紀頃、欧米で緑茶の需要があり、中国産の緑茶が大量に取引されていました。そのことに目をつけた慶は、佐賀の嬉野茶の商品見本を作り、出島のドイツ人に託しました。このことが英国商人ウィリアム・オルトの目に留まり、大量の製茶注文に繋がります。旧オルト住宅は、現在もグラバー園内に残されています。
【九州の茶産地発展】
大浦慶は、長崎に限らず、九州一円の茶産地から膨大な量の緑茶をかき集めて輸出し、莫大な利益を得ました。その後もオルト商会と提携し、製茶輸出で財を成した慶は、茶畑の拡大を説いてまわりました。
日本茶貿易と シーボルト
出島オランダ商館医・博物学者 シーボルトの著作『⽇本』には、⽇本茶について詳細に記述されたページがあり、川原慶賀の描いた図版が付されています。実は大浦慶よりも前の時代、オランダはヨーロッパへの貿易資源として⽇本茶に着⽬、インドネシアのジャワ島に⽇本茶の種⼦を運びました。最終的に気候の不適応などにより失敗し、見込みはついえたものの、⼀度は多くの茶樹の栽培に成功しました。
