当サイトでは、利便性の向上と利用状況の解析、広告配信のためにCookieを使用しています。サイトを閲覧いただく際には、Cookieの使用に同意いただく必要があります。詳細はクッキーポリシーをご確認ください。
同意する1873年、明治政府のキリスト教禁教令廃止を契機に、大浦天主堂のプチジャン神父は羅典神学校設立を計画し、1875年に完成した。1926年に浦上神学校ができるまでは、神学校の校舎兼宿舎として使用された。その後、司祭館や集会所にも使用され、1930年頃になって1階の間仕切(まじきり)を撤去して広い部屋をつくり、更に3階を改造して学生の寝室とした。
設計はフランス人のド・ロ神父が行った。構造は骨組を木造にし、壁に煉瓦を積む特殊なものであるが、ド・ロ神父は建築技術に造詣が深く、その設計監督した建物は極めて堅牢であるのが特徴である。大浦天主堂内司祭館(現、旧長崎大司教館)や長崎北部(外海)の出津教会等、数多くの建物を遺(のこ)している。