世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」長崎市内にある構成資産
沈黙の下に秘め続けた思いを知る…感動の旅へ
「信徒発見」の奇跡
平成の世になっても大浦天主堂に眠る、プティジャン神父
大浦天主堂の創建に尽力した宣教師の一人、プティジャン神父は大浦天主堂の完成後、「2世紀の間、弾圧に負けなかったカトリックの信徒がいるのではないか」という夢を信じ、天主堂の扉を開けつづけ日本人の信徒の訪問を待っていました。そして1か月後、宗教史上の奇跡と言われる「信徒発見」に立ち会うことになるのです。プティジャン神父の「夢」がなければ起こらなかった奇跡。プティジャン神父はその後もまだまだキリシタン弾圧が続く激動の時代に苦労を重ねながら、各地の潜伏キリシタンをカトリックに復帰させました。プティジャン神父は今も「信徒発見」の場、大浦天主堂の下に眠っています。
(写真:信徒発見の碑)

今も人々から慕われ続ける ド・ロ神父
出津の人々の暮らしを支え、生活の向上、教育に尽力。
1873年の禁教令撤廃から6年後、外海(そとめ)へ赴任し、潜伏キリシタンが信仰を続けていた集落でその後の人々の暮らしを支えた神父がいました。
ド・ロ神父は赴任後、自ら図面を引き、出津教会堂の建造に着手します。当時の出津の信徒はとても貧しい生活だったため、ド・ロ神父は後々、人々が修繕費で苦労しないように海風にも負けない頑丈さを優先。惜しみなく私財を投じ、信徒と共同作業で出津教会堂を建てたのです。また困窮を極める村人達を救うため、仕事を持たない娘たちを集め織物やマカロニ、そうめん製造などの技術を教え、人々の自立を促しました。明るく話し上手で建築や医療の知識も豊富だったド・ロ神父は、出津のお父さんのような存在だったといわれています。
(写真:ド・ロ神父記念館)

ド・ロ壁
ド・ロ壁なのに泥じゃない!ド・ロ神父の建築技術で築いた石積みの壁
角力灘(すもうだな)をのぞむ丘に佇む「大野教会堂」は出津教会堂に通えない信徒のための巡回教会として、ド・ロ神父が私財を投じて建てまし た。最大の特長はド・ロ神父の名前を冠した「ド・ロ壁」。専門知識が豊富なド・ロ神父は、地元に元々あった石積みの製法に工夫を加え、より丈夫な石積みの壁を造ることに成功しました。100年以上たった今でも健在です!
(写真:大野教会堂)