POINT4 長崎の歴史を紐解くと、日本の歴史が見える!
■出津教会堂と関連施設(大野教会堂):貧しい人々のために尽くしたド・ロ神父
■大浦天主堂と関連施設(日本二十六聖人記念碑):志を貫いた26聖人に捧げるために
1543年、ポルトガル人が種子島に漂着し、1549年にはフランシスコザビエルによって、日本にキリスト教が伝えられました。キリスト教は長崎で繁栄しましたが、1587年から禁教の動きが強まり、厳しい弾圧が行われました。こうした中でも、密かに信仰を守り続けたキリシタンたち。やがて1859年に長崎が開港し、フランス人宣教師によって建てられた大浦天主堂にキリシタンたちが訪れ、信仰を告白。これが「信徒発見」です。信徒たちは、250年もの長きにわたって、密かに信仰を守り続けてきたのです。
■大浦天主堂と関連施設(日本二十六聖人記念碑):志を貫いた26聖人に捧げるために
1543年、ポルトガル人が種子島に漂着し、1549年にはフランシスコザビエルによって、日本にキリスト教が伝えられました。キリスト教は長崎で繁栄しましたが、1587年から禁教の動きが強まり、厳しい弾圧が行われました。こうした中でも、密かに信仰を守り続けたキリシタンたち。やがて1859年に長崎が開港し、フランス人宣教師によって建てられた大浦天主堂にキリシタンたちが訪れ、信仰を告白。これが「信徒発見」です。信徒たちは、250年もの長きにわたって、密かに信仰を守り続けてきたのです。

出津教会堂
大野教会堂

大浦天主堂

日本二十六聖人記念碑
出島は、鎖国時代の約200年間、日本で唯一西洋に開かれていた貿易の窓口でした。19世紀、島内には住居や料理部屋、蔵、番所な ど49棟もの建物があり、現在そのうちの25棟を復元させるための事業が進んでいます。明治期にその役割を終え、陸地の中に埋もれ、人々の記憶からも消え かけていましたが、今から約60年前に長崎市が出島の復元に着手しました。

出入りが許されたのは遊女のみ

シーボルトと遊女のロマンス
風頭公園 坂本龍馬之像
長崎は幕末の舞台一つでもあります。司馬遼太郎著の『竜馬がゆく』には、坂本龍馬が「長崎はニッポンの希望じゃ」と語る場面があり、その言葉が文学碑になっています。龍馬を中心に、薩摩、長州、土佐、肥前の士がグラバーのもとで最新の武器を手に入れ、討幕への一大勢力が動いていったのです。