モデルコース
~原爆落下中心地・平和公園から浦上天主堂~
[日帰り]
アンゼラスの鐘の丘を訪ねて
- エリア
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浦上・平和公園
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黒御影石の碑が表す爆心地
原爆落下当時は、地元有力者の別荘と庭があった場所。当初はスレート製煙突の破片に消し炭で「爆心」と書いた標識が立てられていました。
- 住 所
- 〒852-8118長崎県長崎市松山町
- 電話番号
- 095-822-8888
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2
旧松山町防空壕跡
一人の少女の命を救った防空壕
原爆落下時は警報解除中だったため、町民のほとんどは被爆。壕で遊んでいた9歳の少女だけが、町内唯一の生存者となりました。
- 住 所
- 長崎市松山町
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世界に向けて平和を発信する公園
8月9日の平和記念式典が行われる場所。祈念像は長崎出身の彫刻家・北村西望作。右手は原爆の脅威を、左手は平和を表しています。
- 住 所
- 長崎県長崎市松山町 平和公園内
- 電話番号
- 095-829-1164
-
4
長崎刑務所浦上刑務支所遺壁
長崎刑務所浦上刑務支所遺壁
爆心地から200mの刑務所は瞬時に倒壊。受刑者や未決囚、看守とその家族134人全員が死亡。中国・朝鮮人45人も含まれていました。
- 住 所
- 長崎市松山町
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5
市立山里小学校(山里国民学校跡)
千羽鶴と佇む永井博士ゆかりの碑も
被爆により児童1581人のうち1300人、教師28人が亡くなりました。校舎裏手の防空壕は、事前の申し込みで見学も可能です。
- 住 所
- 長崎市山里町
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永井博士が暮らした畳二畳の自宅
被爆しながらも救護活動に奔走した永井隆。2人の子どもと共にここで暮らし、「長崎の鐘」「この子を残して」などを執筆しました。
- 住 所
- 〒852-8113長崎県長崎市上野町22-6
- 電話番号
- 095-844-3496
-
平和を希求し続けた生涯をたどる
博士の遺品や写真、著作などを展示。2階には近所の子どものために開放した「うちらの本箱」の精神を受け継いだ図書館もあります。
- 住 所
- 〒852-8113長崎県長崎市上野町22-6
- 電話番号
- 095-844-3496
- 営業時間
- 9:00~17:00
- 休 日
- 12月29日~1月3日
-
8
浦上天主堂鐘楼ドーム
朝夕に響いていたアンゼラスの鐘
鐘楼の左塔のドーム部分は、爆風で落下し北側の川底へ崩落。右塔の鐘は瓦礫の中から発掘され、今も変わらぬ音を響かせています。
- 住 所
- 〒852-8112長崎県長崎市本尾町1-79
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原爆の脅威を今に伝える聖堂
30年の歳月をかけて建てられた聖堂が、原爆により全壊。1981年の法王ヨハネパウロ2世来日を機に、昔日の面影がよみがえりました。
- 住 所
- 〒852-8112長崎県長崎市本尾町1-79
- 電話番号
- 095-844-1777
- 営業時間
- 9:00~17:00
- 休 日
- 無休
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