• 長崎で活躍した外国人 〜シーボルトとグラバー〜

長崎で活躍した外国人
〜シーボルトとグラバー〜

江戸時代から西洋との窓として開けた長崎には、様々な外国人が訪れました。なかでも、オランダ商館医として来日したシーボルトと、スコットランド出身の商人・グラバーは、ともに日本を愛し、日本の近代化に大きな足跡を残しました。彼らは何のために日本を訪れ、どのような功績を残したのでしょうか。長崎とゆかりの深い2人の外国人の人物像に迫ります。
  • シーボルトゆかりの鳴滝の地に建てられたシーボルト記念館

    シーボルトゆかりの鳴滝の地に建てられたシーボルト記念館

  • シーボルトの胸像

    シーボルトの胸像

日本に西洋医学を伝え、西洋に日本文化を紹介
鎖国下の江戸時代において、長崎の出島で交易を許されたのが、オランダでした。出島にはオランダ商館が置かれ、日本との貿易業務に従事する商館長以下10数名のオランダ人が滞在していました。文政6年(1823)に出島へやってきたシーボルトは、出島に滞在するオランダ人の診察や治療にあたった商館医の1人。シーボルトは最先端の西洋医学を学ぼうとする日本人のため、出島の外に医学教育を行う「鳴滝塾」を開き、学生たちの指導にあたります。また、日本の文化や自然科学を研究し、今日でも学術的に高く評価されている日本研究を発表。西洋における日本理解の促進に貢献しました。
  • 旧グラバー住宅

    旧グラバー住宅

  • グラバー園にあるグラバー像

    グラバー園にあるグラバー像

  • ライトアップされた夜の旧グラバー住宅

    ライトアップされた夜の旧グラバー住宅

旧グラバー住宅の主人は、スコットランド出身の貿易商人
安政の開国によって安政6年(1859)に開かれた長崎の港から、若いスコットランド出身の青年が上陸しました。彼の名はトーマス・ブレーク・グラバー。長崎きっての観光名所「旧グラバー住宅」の主として知られるグラバーは、当時まだ21歳。祖国から遠く離れた極東の地で、ビジネスでの成功を夢見る野心にあふれる青年でした。幕末の動乱期に薩摩藩などの志士たちと交流を深めたグラバーは、船や大砲、鉄砲などの武器を輸入し、それらを彼らに売ることで、江戸幕府を倒す影の立役者となりました。明治維新後も日本に残り、実業家として明治日本の産業革命に多大な貢献をしたグラバーの生涯を追ってみましょう。