関連遺産

全国にある明治日本の産業革命遺産
萩反射炉
萩反射炉
試行錯誤をくりかえし、産業化へ踏み出す

西洋式の鉄製大砲鋳造を目指した萩(長州藩)が、1856年に建設した反射炉の遺跡。萩(長州)藩から佐賀藩に派遣された大工棟梁が持ち帰った反射炉の見取り図を基に、試作的に建設された。萩(長州)藩は、結局は技術面、費用面の限界から本式の反射炉の建設を中止したが、試行錯誤しながら自力で西洋技術を取り入れようとした産業化初期の段階の取り組みの様子を物語っている。

■所在地:山口県萩市大字椿東4897-7
■TEL:0838-25-3299(萩市文化財保護課)
■アクセス:JR東萩駅から車3分、萩巡回まぁーるバス[東回りコース(松陰先生)]萩しーまーと下車徒歩3分
 
恵比寿寿ケ鼻造船所跡
恵比寿寿ケ鼻造船所跡
西洋の技術と和舟の技で洋式船を建造した

幕府の要請や木戸孝允の意見により、萩(長州)藩が設けた造船所の遺跡。藩は、伊豆の戸田村や長崎海軍造船所に船大工ら技術者を派遣し、西洋技術の情報を得て伝統的な和舟の建造技術を使って、2隻の西洋式軍艦(1856年に丙辰丸、1860年に庚甲丸)を建造した。

■所在地:山口県萩市大字椿東5159-14
■TEL:0838-25-3299
■アクセス:萩反射炉から海側へ約0.6km、萩巡回まぁーるバス[東回りコース(松陰先生)]萩しーまーと下車徒歩5分
 
大板山たたら製鉄遺跡
大板山たたら製鉄遺跡
産業化を支えた伝統的なたたら製鉄の技術

日本の伝統的な製鉄方法であるたたら製鉄の遺跡。萩(長州)藩が西洋式軍艦「丙辰丸」を建造する際に用いた船釘などの原料にした鉄を供給しており、幕末の西洋式軍艦建造に当時の日本の在来技術が利用されたことを示している。

■所在地:山口県萩市大字紫福257-5(山地番)
■TEL:0838-25-3299(萩市文化財保護課)
■アクセス:JR東萩駅から車30分(山の口ダムの北側)
 
萩城下町
萩城下町
幕末に産業化をめざした萩の城下町

萩城下町は、幕末に産業化に取り組み、産業文化を形成していった当時の地域社会を現している。毛利輝元が建設した萩(長州)藩の政治・行政の中心であった萩城の跡(城跡)、藩の産業化や技術獲得などの制作を遂行した、身分が高い武士の屋敷等があった旧上級武家地、当時の経済的な様相を現在に伝えている旧町人地の3つの区域によって構成される。

■所在地:山口県萩市大字堀内1
■TE:0838-25-3299(萩市文化財保護課)
■アクセス:JR東萩駅から車3分、萩巡回まぁーるバス[西回りコース(晋作くん)]萩城跡・指月公園入口下車
 
松下村塾
松下村塾
工学教育論を提唱した松田松陰の実家と塾舎

萩(長州)藩の兵学者松田松陰が主宰した私塾。吉田松陰は実家の杉家に謹慎していた1856年から門人への指導を開始し、1857年に現存する塾舎に移った。1858年に閉鎖されるまでの約2年10ヶ月の間に約90名の門人に指導を行った。松下村塾は、産業化に取り組み、産業文化を形成していった当時の地域社会における人材育成の場であった。吉田松陰が提唱した工学教育論は、工学の教育施設を設立し、在来の技術者を総動員して自力で産業近代化の実現を図るというもので、その教えを受け継いだ塾生ら多くが、後の日本の近代化・産業化の過程で重要な役割を担った。

■所在地:山口県萩市大字椿東1537-1
■TEL:0838-22-4643(松蔭神社)
■アクセス:JR東萩駅から車3分、萩巡回まぁーるバス[東回りコース(松陰先生)]萩城跡・松陰神社前下車
 
旧集成館
旧集成館
多種多彩な技術の導入と進化に挑んだ巨大プラント

アヘン戦争(1840年~1842年)後、欧米列強の脅威を察した薩摩藩主・島津斉彬が、反射炉・高炉による製鉄大砲鋳造、洋式艦船の建造、製鉄や紡績、ガラス製造、活版印刷など、富国強兵・殖産興業政策として実施した集成館事業の工場群跡。集成館は斉彬らが蘭書をもとに西洋技術の情報を得て、日本在来の石造建築・製陶・鋳造などの技術を応用し、独力で建設された。集成館に隣接する仙巌園は、1658年に造営された島津家の別邸であり、幕末から明治にかけて、外国から多くの要人が訪れるなど迎賓の場として使用されるとともに、集成館事業の実験が行われた場所であり、その指揮のとりやすさから集成館事業の選地にも影響を及ぼした。1958年に国の名勝に指定され、その一部は構成資産に含まれる。

■所在地:鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1
■TEL:099-247-1511(尚古集成館)
■アクセス:JR鹿児島中央駅から車20分、バス:鹿児島シティービュー仙巌園前下車すぐ
 
寺山炭釜跡
寺山炭釜跡
技術を支える燃料にも徹底したこだわりがあった

集成館事業の反射炉・高炉・蒸気機関などには大量の燃料が必要になった。島津斉彬は、集成館事業の進展とともに、木炭の需要も急増し、供給不足に備え、火力の強い白炭を製造するため、鹿児島市の北東部に広がる吉野大地の北側、集成館から北北東約5kmに位置する吉野町寺山に炭焼窯の設置を命じた。寺山には、1858年建設された炭窯の跡が残っており、炭釜本体は堅牢な石積で築造された当時の姿を今も残している。

■所在地:鹿児島県鹿児島市吉野町10710-68
■TEL:099-227-1962(鹿児島市教育委員会文化課)
■アクセス:JR鹿児島中央駅から車45分、バス:JR鹿児島中央駅から中別府団地線にて40分、少年自然の家入口バス停下車、徒歩20分
 
関吉の疎水溝
関吉の疎水溝
まわす、動かすといった機械の動力は水の力で

集成館事業の高炉や鑚開台(砲身に穴を開ける装置)などの動力には、蒸気機関が研究段階であったため使用できず、代わりに水車動力が用いられた。元来、仙巌園には、鹿児島市吉野台地の西方に位置する下田町関吉から庭に水を供給するための吉野疎水が島津家によって築かれていた。そのため、1852年、島津斉彬はその疎水から新たな水路を築き、集成館の水車に水を供給した。関吉には、稲荷川から取水した当時の取水口跡が残っており、疎水溝の一部は現在も灌漑用水として利用されている。

■所在地:鹿児島県鹿児島市下田町1263先
■TEL:099-227-1962(鹿児島市教育委員会文化課)
■アクセス:JR鹿児島中央駅から車40分、バス:JR鹿児島中央駅から緑が丘団地線にて30分、下田バス停下車、徒歩12分
 
旧集成館機械工場
旧集成館機械工場
集成館再建への想いが生んだ日本で最も古い洋式工場

薩英戦争による集成館の焼失後、薩摩藩はただちに再建に着手した。この洋式の機械工場は、1864年に建設が始まり、1865年に竣工した。ここでは主に洋式機械による金属加工、艦船・蒸気機関の修理・部品加工が行われ、長崎製鉄所の特徴・技術が引き継がれている。現存する日本の洋式工場の建物として最も初期のものである。
現在も、島津家に伝わる歴史資料を展示する博物館施設(尚古集成館)として、利用されている。

■所在地:鹿児島県鹿児島市吉野町9698-1
■TEL:099-247-1511(尚古集成館)
■アクセス:JR鹿児島中央駅から車20分、バス:鹿児島シティービュー仙巌園前下車すぐ
 
旧鹿児島紡績所技師館
旧鹿児島紡績所技師館
イギリス人技師たちが暮らしたモダンで瀟洒なハイカラ宿舎

日本最初の西洋式紡績工場である鹿児島紡績所で技術指導に当たった7名の英国人技師の宿舎として、1867年に建てられた建物。木造2階建で、四面にベランダを巡らしたコロニアルスタイルである。西洋建築の輸入当初に日本各地に造られたこの種の建築のうち、現存する2階建住宅としては最も初期のものであり、幕末期における建築洋風化の進展を示すものとして貴重である。

■所在地 鹿児島県鹿児島市吉野町9685-15
■TEL 099-247-3401(異人館)
■アクセス JR鹿児島中央駅から車20分、バス:鹿児島シティービュー仙巌園前下車、徒歩2分
 
韮山反射炉
耐火レンガに覆われ実働した幕末の反射炉

アヘン戦争(1840年~1842年)などを受け、欧米列強に対抗する海防用の鉄製大砲鋳造のため、韮山代官江川太郎左衛門英龍により建設された。1854年着工、1857年完成。実際に稼働した幕末の反射炉として国内で唯一現存する。連双式2基(4炉)からなり、それぞれ石製の基礎上に築かれ、炉の内部は耐火レンガで囲われている。建設にあたっては西洋の書物を基に日本の伝統技術が援用されたほか、佐賀藩との技術交流も重要な役割を果たした。稼働当時、周辺には大砲生産の工程を担う様々な建物が存在し、その一帯は史跡として指定され、構成資産に含む。また、その一つである錐台(すいだい)小屋(水車を動力として砲身の内側をくり抜く作業場)に水を供給していた河川は、現在も反射炉に隣接しており、その一部を構成資産に含む。

■所在地:静岡県伊豆の国市中字鳴滝入268
■TEL:055-949-3450(韮山反射炉管理事務所)
■アクセス:東名高速沼津ICから国道136号下田方面へ約30分、伊豆箱根鉄道駿豆線伊豆長岡駅から徒歩約20分、タクシー約5分
橋野高炉跡及び関連遺跡
鉄の連続生産に成功した現存する日本最古の洋式高炉跡

盛岡藩士大島高任の指導により、鉄鉱石を使った西洋式の高炉技術を導入し、鉄の連続生産に成功した証拠を示すもので、高炉場跡の3つの高炉跡のほか鉄鉱石の採掘場跡、運搬路跡など関連遺跡が存在し、当時は総称して橋野鉄鋼山と呼ばれた。橋野高炉跡及び関連遺跡は西南雄藩を中心とした西洋技術の導入と強いつながりを持ち、後の八幡製鐵所の完成に至る近代製鉄の流れの発端となっている。

■所在地:岩手県釜石市橋野町第2地割15番
■TEL:0193-22-2111(釜石市総務企画部 世界遺産登録推進室)、0193-22-8835(釜石市教育委員会事務局生涯学習スポーツ課)
■アクセス:JR釜石駅より車で50分※運搬路跡と採掘場跡は、一般公開していません。
三重津海軍所跡
伝統技術を駆使した日本最古のドライドック

三重津海軍所は、佐賀藩が長崎海軍伝習所で得た西洋技術に関する情報を基に、海軍の人材育成及び西洋の船舶技術の獲得と実践を行う拠点として、1858年に設置された。ここでは、国産初の実用蒸気船「凌風丸(りょうふうまる)」の建造が行われる等、産業国家日本の確立にいたる初期及び発展期において船舶関連技術の発展に大きな影響を与えた重要な資産であり、西洋技術と日本の伝統技術の高度な融合により構築された国内最古のドライドックが地下遺構として現存する。

■所在地:佐賀県佐賀市川副町・諸富町
■TEL:0952-40-7105(佐賀市企画調整部都市デザイン課)、0952-40-7363(佐賀市教育委員会文化振興課世界遺産調査室)
■アクセス:JR佐賀駅バスセンターから佐賀市市営バス諸富・早津江線にて30分、 佐野常民記念館入口バス停下車、徒歩で6分。長崎自動車道佐賀大和ICより車で40分
三池炭鉱宮の原坑
三池炭鉱宮の原坑
日本の近代化を支えた貴重な炭鉱遺構

三池炭鉱は高島炭鉱に次いで西洋の採炭技術を導入して開発された。三池炭は高品位で豊富な埋蔵量を誇り、国内外の石炭需要に応えた。宮原坑は三井買収後に初めて開削された明治期から昭和初期にかけての三池炭鉱の主力坑口。第二竪坑櫓と巻揚機室等が現存する。第一竪坑は1895年に着工、1898年竣工、出炭開始。第二竪坑は1899年着工、1901年竣工、操業を開始している。1930年、国から坑内における囚人労働を禁止するとの通達が出ると、翌年には三池集治監(当時は三池刑務所)の閉庁が決定。囚人を主な労働源としてた宮原坑も1931年閉坑となる。しかしその後も坑内排水機能は維持され、最終的には三池炭鉱閉山(1997年)後も第二竪坑の閉塞工事時(2000年)まで櫓や巻揚機は機能していた。

■所在地:福岡県大牟田市宮原1丁目86-3
■TEL:0944-41-2515(大牟田市企画総務部世界遺産登録・文化財室)
■アクセス:大牟田駅バス停から西鉄バス勝立方面へ早鐘眼鏡橋バス停下車徒歩8分
 
三池炭鉱万田坑
三池炭鉱万田坑
かつて威容を誇ったわが国最大規模の竪坑

万田坑は、宮原坑の南約1.5キロの位置に開削され、当時わが国の炭鉱の模範とすべく、総力を挙げて整備された三池炭鉱の坑口の一つである。1897年開削着手され、1902年完成した第一竪坑と、1898年開削着手され、1908年完成した第二竪坑とからなる。わが国最大規模の竪坑として威容を誇り、大正から昭和にかけて設備、機械の充実が図られ、出炭量も増大していった。しかしながら、1951年に採炭を中止した。その後は1997年3月の三井三池炭鉱の閉山まで坑内の水の揚水と坑道の管理を担ってきた。
現在、第二竪坑の関係施設(櫓、巻揚機室、倉庫及びポンプ室、安全燈室及び浴室、事務所、山ノ神祭祀施設など)が良好に残っている。

■所在地:熊本県荒尾市原万田200番地2(万田坑ステーション)
■TEL:0968-57-9155(万田坑ステーション)
■アクセス :国道208号線万田西交差点から東へ県道荒尾・南関線に入り車で3分、荒尾駅から産交バス倉掛方面へ万田坑前バス停下車徒歩1分、荒尾駅から万田西交差点を経由し倉掛方面へ徒歩20分
 
三池炭鉱専用鉄道敷跡
三池炭鉱専用鉄道敷跡
三池炭鉱と港を結ぶ大動脈

三池炭鉱専用鉄道は、三池炭鉱の各抗口で掘り出された石炭を港屋国鉄へ輸送するために整備された貨物専用鉄道である。大牟田市の宮原坑等から荒尾市の万田坑を経由して三池港まで繋がり、三池炭鉱と関連工場群を結ぶように網の目状に形成していた。かつて、石炭生産の全盛期には支線を含め総延長約150kmにも及び、後には炭鉱従事者の通勤用としても利用された。
平成9年の閉山に伴いレールは取り除かれたが、当時利用されていたプラットフォーム跡は良好に残っている。現在は、炭鉱電車ではなく鉄塔や配管(電気・水道・ガス)といったライフラインが設置されている。また、専用鉄道敷は、石炭などの重量物を運ぶため、線路を勾配がないように敷設できるよう設計された切土・盛土の鉄道空間が現在も残っている。
このように、我が国で唯一の石炭採掘から港まで鉄道線形が連続して残り、良好な炭鉱景観を形成している。

■所在地:福岡県大牟田市、荒尾市
■TEL:0944-41-2515(大牟田市企画総務部 世界遺産登録・文化財室)、0968-63-1681(荒尾市教育委員会 世界遺産推進室)
■アクセス:荒尾駅から徒歩10分、大牟田駅バス停から西鉄バス勝立方面へ早鐘眼鏡橋バス停下車徒歩1分
 
三池港
三池港
百年後を見据え行われた大港湾事業

三池炭を大型船で直接積載し搬出する為に築港された。1902年着工し、1908年に竣工。同時に開港場に指定され、貿易港として三池炭を上海や香港などに輸出した。築港以前は、大牟田市から小型船に積み替え海外に輸出した。干満差の著しい有明海に面するため長大な防砂堤や、水位を一定に保つため閘門を備えた船梁が計画的に配置され、現在も重要港湾として機能している。

■所在地:福岡県大牟田市新港町
■TEL:0944-41-2515(大牟田市企画総務部 世界遺産登録・文化財室)
■アクセス:大牟田駅西口から西鉄バス「三池港」行き10分三池港終点下車すぐ
 
三角西(旧)港
三角西(旧)港
当時の姿を今に留める美しい近代貿易港

内務省が招聘したオランダ人水理工師ムルドルによる設計と、日本の伝統的石工の技術が見事に融合した近代港湾都市。国費を投じて建設された港で、1887年開港した。野蒜港(宮城県)、三国港(福井県)と並び我が国の明治三大築港の一つ。三池港が開港するまでの一時期、三池炭鉱の石炭が三角西(旧)港を経由して海外に輸出された。現在も築港当時の状態を留めており、明治期における近代貿易港としての土地利用が良好に理解できる。

■所在地:熊本県宇城市三角町三角浦
■TEL:0964-32-1428(宇城市教育委員会 世界遺産推進室)
■アクセス:松橋ICから車で50分、熊本市内から国道3号線を南へ、その後国道57号線を経由して西へ60分
 
八幡製鉄所 旧本事務所
八幡製鉄所 旧本事務所
国の威信をかけた官営製鐵所の中枢機関

八幡製鐵所創業2年前の1899年に竣工した初代本事務所。中央にドームを持つ左右対称形の赤煉瓦建造物で、長官室や技監室、外国人顧問技師室などが置かれた。
1922年、製鐵所の規模拡大に伴って管理機能が移転した跡は、製鋼研究所や検査室などとして利用された。

■所在地:福岡県北九州市八幡東区大字尾倉他
■TEL:093-582-2922(北九州市世界遺産登録推進室)
■アクセス:最寄駅:JRスペースワールド駅
※施設は、八幡製鐵所構内にあるため公開していません。
 
八幡製鉄所 修繕工場
八幡製鉄所 修繕工場
110年以上稼働し続ける現役の工場

1900年、製鐵所で使用する機械の修繕、部材の製作加工等を行う目的で、ドイツのグーテホフヌンクスヒュッテ(GHH)社の設計と鋼材を用いて建設された現存する日本最古の鉄骨建造物。その後、鋼材生産量の増大に伴って3回増築された。創業から現在まで110年以上の間、修繕工場として稼働し続けている。

■所在地:福岡県北九州市八幡東区大字尾倉他
■TEL:093-582-2922(北九州市世界遺産登録推進室)
■アクセス:]最寄駅:JRスペースワールド駅
※施設は、八幡製鐵所構内にあるため公開していません。
 
八幡製鉄所 旧鍛冶工場
八幡製鉄所 旧鍛冶工場
製鐵所を作るための工場

1900年に、製鐵所建設に必要な鍛造品の製造を行う目的で、修繕工場と同様、ドイツのGHH.社の設計と鋼材を用いて建設された鉄骨建造物。製鐵所の拡張工事により増築されたが、その後、1917年に現在地へ移築されるとともに製品試験場になった。現在は製鐵所の史料室(非公開)として使用されている。

■所在地:福岡県北九州市八幡東区大字尾倉他
■TEL:093-582-2922(北九州市世界遺産登録推進室)
■アクセス:最寄駅:JRスペースワールド駅
※施設は、八幡製鐵所構内にあるため公開していません。
 
八幡製鉄所 遠賀川水源地ポンプ室
八幡製鉄所 遠賀川水源地ポンプ室
100年を経て、今も現役で稼働する送水施設

遠賀川の河口から約10キロにある八幡製鐵所の送水施設。八幡製鐵所第一期拡張工事に伴う工場水不足を補うため、1910年に操業を開始した。明治建築の典型的な煉瓦建造物。動力は蒸気から電気に変わったが、現在も稼働し続けている。

■所在地:福岡県中間市土手ノ内1丁目3番1号
■TEL:093-244-1111(中間市世界遺産登録推進室)
■アクセス:最寄駅:JR筑前垣生駅
※施設は、八幡製鐵所構内にあるため公開していません。