長崎ハタ揚げ振興会-1

長崎ハタ揚げ振興会

2024.04.15 更新

長崎ハタ揚げ振興会では、長崎市民や長崎を観光で訪れる皆さまに、①ハタを見ていただくために、長崎ハタ揚げ大会の開催、②ハタを知っていただくために、ハタの情報の掲載、③ハタを揚げていただくために、ハタを取り扱っているお店の紹介という、3つの活動を行っています。

① ハタを見る

長崎の春の風物詩「令和7年 長崎ハタ揚げ大会」4/6(日)開催予定

長崎市の唐八景公園を会場にハタを切り合うハタ合戦、ハタに関連するグッズ販売と、長崎ハタの展示を行いました。

◆大会詳細◆ ※下記は令和6年度の情報
■会場:長崎市唐八景公園
■主催:長崎新聞社、長崎ハタ揚げ振興会
■後援:長崎県、長崎市、長崎市教育委員会、日本の凧の会
■大会内容:開会セレモニー・自由ハタ揚げ・ハタ合戦(決勝)・閉会式・表彰式

COLUMN

長崎ハタ揚げ大会だけじゃない、長崎市内でハタがみられるイベントやスポット

①金比羅山公園ハタ揚げ大会
※詳細が決定次第、情報を掲載します。

➁長崎市総合観光案内所  https://www.at-nagasaki.jp/barrierfree/64101
※案内所内に長崎のハタが装飾されています。(協力:小川凧店)

② ハタを知る

長崎の「ハタ揚げ」とは?

長崎では凧のことを「ハタ」と呼び、「長崎ハタ揚げ大会」は、長崎くんち、精霊流し(しょうろうながし)と並んで、長崎の三大行事の1つに数えられています。

このハタ揚げは、他の地域で行われる高く揚げる凧揚げとは異なり、他のハタと掛け合って相手のハタを切るハタ合戦です。そのため、ハタは2本の骨を十文字に組み合わた菱形で、1ひろ(約1.6メートル)ほどのヨマツケがつき、そのあとが1本につながり操縦が自由になっています。この掛け合いに使う糸は「ビードロ」(ビードロヨマ)と呼ばれるガラス粉をのりでねって麻糸にぬりつけたもので、ハタの大小によって180~90メートルものビードロがつけられ、これが相手のビードロを切りハタを落とします。

このハタ揚げ場には「ヤダモン」とよばれる用具(長い竹竿の先にカギをつけて切られたハタを奪い合う用具)を持ち出してハタを取ろうとする人や、「ヨマカスリ」(落ちてくるヨマをねらう者)と呼ばれる人がいて、とても賑やかです。

このハタ揚げ合戦は18世紀頃から始まったと言われており、4月~5月上旬までの各日曜日や祭日に、風頭山、唐八景、金比羅山、稲佐山で行われていました。特に唐八景のハタ揚げは壮観で人気を博していました。

ハタの歴史

日本に伝えられた凧には、中国系と南方系のものがあると言われています。
その中で、長崎の凧(ハタ)は、いわゆる『あごばた』と言われる南方系のもので、出島のオランダ人の従者として来ていたインドネシア人たちが伝えたものだと言われています。

長崎名勝図絵中の『出島はたあげの図』では、出島側と長崎側で海を挟み庶民同士の国際親善試合も行われていたと伝えられています。

ハタ紋様

長崎のハタの模様は、白紙に色を塗るのではなく、刷毛染めした和紙を切ってはぎあわせるのが特色で、色は和紙の地色である白と青と赤が基本となり、まれに黒が使われています。

図柄は万国旗や風物・家紋・鳥獣・四季の花・魚類・オランダ文字などを極端に図案化したシンプルなものが多く、空中高く舞い上がったときに目立つように作られています。

模様の種類は200種とも300種とも言われていましたが、現在では約50種類の昔ながらの図柄として使われています。

また、ハタ合戦が全盛のころは印紙鳶といって自分だけのオリジナルデザインのものも多く作られていました。今でも定番として作られている『水に楓』は、日本写真界の始祖と言われる「上野彦馬」の印紙鳶として有名です。現在では、企業や組合・同窓会などで宣伝用や記念品として作られています。

 

長崎ハタ資料館

作業場と展示場がいっしょになった資料館は、見るだけではなく参加型で臨場感を楽しむことができます。
館内には、『長崎ハタ』をはじめ世界中のめずらしい凧や昔ながらの道具・パネルがところ狭しと展示されています。
また、希望者にはハタ作り・ハタ揚げの指導も行っています。

小川凧店(長崎ハタ資料館)
長崎市風頭町11‐2
TEL:095‐823‐1928
FAX:095‐823‐1928

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