「冬の長崎は、”来てよかった”が口ぐせです。」特集ページ公開しました!
「長崎を“さるく”なら季節は秋」特集ページ公開しました!
「長崎には、終わらない夏がある。」特集ページ公開しました!
長崎市には、海外との交流で生まれた独自の文化や習慣をはじめとする、長崎ならではの見どころがたくさん。
そんな、市民にとっては普通でも市外の人から見れば不思議な、長崎市ならではの魅力を知ってほしくて、写真展を開催することにしました。
市民目線の長崎を知って訪れれば、長崎市をもっと楽しめるはず。
長崎市では、夏だけではなく、一年中花火が売られています。
それどころか、爆竹が公然と売られ、
3万円以上も「大人買い」する人たちも。
中国文化の影響を受けた長崎では、お墓参りや精霊流しで
花火を行い、爆竹を炸裂させる風習があるからです。
これ、どんな色で、どんな形になるんだろう。
子どもたちは、花火を1本ずつ手に取ります。
花火屋さんがある長崎では、花火は選ぶ楽しみから始まります。
お盆に迎えた先祖の御霊を送るために行われる精霊流しは、
一般的に霊の乗り物である小さな舟を川や海に流して送る、
しめやかな行事です。
ところが長崎の精霊流しは、町中に爆竹が鳴り響きます。
お墓参りの時に花火をしたり爆竹を鳴らす習慣がある唐人文化の
影響を受けた長崎では、 魔除けの意味を込めて爆竹を鳴らしながら、
故人の趣味などに基づいて飾られた精霊船とともに
初盆を迎えた家族が街中を練り歩きます。
見物には、耳栓のご用意をお忘れなく。
毎年 8月15日
鍛冶場で真っ赤に熱した鉄のような色をした
赤身のまぐろを材料にしたから
名付けられたとも言われる鉄火巻き。
長崎市では、そんな名前に矛盾する白鉄火巻きが存在します。
材料は白身のハマチやブリ、ヒラス(ヒラマサ)。
海に囲まれた長崎は新鮮なお魚が豊かで、
身が締まった食感はプリプリ、コリコリ。
ねっとりとした食感のマグロに新鮮さを
感じなかったからと言われています。
長崎に来たら、ちょっと不思議な白鉄火巻きをごひいきに。
1945年8月9日午前11時02分。
広島への原爆投下から3日後、
この平和祈念像から約500m南側の上空で原子爆弾が炸裂。
約15万人もの人々が死傷しました。
平和祈念像は、長崎出身の彫刻家、北村西望氏によって制作されました。
天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に伸ばした左手は“平和”を、
軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という想いが込められています。
原爆資料館では、被爆の惨状だけでなく、投下の経緯、
核兵器開発の歴史、そして核兵器のない平和希求が展示されています。
原爆資料館に入ると書いてある言葉「長崎を最後の被爆地に」。
その願いを込めて、その日、その時、市民は黙祷を捧げます。
私たちは今もなお、
人間が起こす戦争という悲劇に向き合う時間が必要です。
端まで行ける設計になっている長崎駅のプラットフォームを
歩いて行くと、潮風を感じます。
眼前に広がるのは、長崎市の歴史を作ってきた長崎港。
そして振り向けば、新幹線が停車したまま。
数少ない新幹線の終着駅、
長崎駅は新幹線が次の発車時刻まで滞在します。
つまりここは、西九州新幹線「かもめ」をゆっくりと
撮影できるフォトスポット。
駅に降り立った瞬間から、長崎の旅が始まります。
長崎市にはおいしいおにぎり屋さんが根付いています。
お昼に定食として提供したり、テイクアウト専門だったり。
珍しいのは、〆のおにぎり。
呑んだ後におにぎりなんて、もうお腹いっぱいで食べられない。
そう思っていても、中には30種類も揃えている店もある
おにぎりを選んでいると、つい3個くらい頼んでしまいます。
ついでにおつまみも頼んで、結局お酒も頼んで、はしご酒になっている。
それもまた長崎らしさです。
毎年7月最後の土日に開催される、長崎ペーロン選手権大会。
5-6年に一度は新調される舟の材質は杉で、長さは約14メートル。
この日のために練習を積んだ26名以内の漕ぎ手が太鼓とドラを響かせて、
往復1,150mを競漕します。
在留唐人たちによって初めて長崎港で行われたのは1655年。
江戸時代には町対抗で競漕を行う現在の大会の原型ができましたが、
あまりの熱狂で揉め事が絶えず、禁止令が出されたほど。
職域の部、中学生の部、女性の部が行われる土曜日と、
6月から各地で行われる地区大会を勝ち抜いた
各地区の選抜チームがNo.1を決める日曜日は
朝から夕方までペーロン一色。
観るのもいいけど乗ってみたいあなたには、
大会中に体験ペーロンがありますよ。
毎年 7月最終土・日曜(6月から市内各地で地区大会)
市街地から国道202号線を北へ向かうと、
やがて外海(そとめ)という、
禁教時代にキリスト教徒が潜伏していた集落に到着します。
外海は文字通り、外に海を臨む海岸線が続きます。
考えてみれば日本の最も西に位置する長崎は、
海に夕日が落ちる絶景スポットの連続。
遠藤周作の小説「沈黙」の舞台となったこの地で、
禁教時代以前に長崎市と同じくヨーロッパの最西端、
ポルトガルから来た宣教師も、
故郷の夕日を重ね合わせたことでしょう。
長崎市内には、たくさんの石碑が建っています。
屋敷の跡地などはもちろんですが、
「○○発祥の地」という碑が多いのです。
貿易が盛んだった長崎では、国外からもたらされたものが多く、
正確に言えば「伝来の地」というモノも含め、「日本初」であふれています。
じゃがいも、たまねぎ、スイカ、コーヒーといった食べものから、
ビリヤード、缶詰、写真機、じゃんけん、
コンクリート住宅、電話にラクダまで。
さまざまなものが上陸した長崎で、
初モノを探してみるのも観光の楽しみです。
地元の人が親しみを込めてチンチン電車と呼ぶ市内電車。
大浦支線を終点で降り、北側に向かうと坂が始まります。
明治時代に作られた洋館が点在するオランダ坂通りを歩く。
その隣に現れるのは、朱色の柱、黄色の屋根の孔子廟。
西洋の淡い色使いと対極をなすような、
主張の強い東洋の美です。
この街をつくったのは、
すべてを受け入れる長崎市民の寛容さなのです。
長崎くんちでは、その年に奉納踊を披露する当番の町を踊町と言い、
7年に1度、主役となる当番年だけに披露される
特別な演し物(だしもの)があります。
長崎くんちの写真としてよく見る、中国文化を取り入れた演し物、
龍踊り(じゃおどり)が、踊られない年だってあるのです。
練習が始まる6月から、本番に向けて仕上げの時期を迎える9月、
そして10月の本番まで、毎年が7年に1度しか見られない長崎です。
毎年10月7日-9日(本番)練習風景見物 6月〜9月
港の周囲を山で囲まれている長崎市は、造船業が盛んになるにつれ、
人口増加によって山の上へ上へと住宅が増えて行きました。
道路もまた、山の上へと伸びて行きました。
しかしながら、多くの住宅が建つ斜面に
新しい道路を作ることは難しく、
今も乗用車がすれ違うのがやっとの、狭く、曲がりくねった道が日常。
そんな道を大型の路線バスが当然のように行き交います。
「長崎はバスの運転がうまい」と言われるのは、
この道に鍛えられたおかげです。
もはや芸術に近い大きなランタンオブジェをはじめとして、
約15,000個のランタンが市内を彩る冬の長崎は街中がフォトスポット。
毎年100万人以上が訪れるフェスティバルでは、ランタンだけでなく、
中国衣装をまとった「皇帝パレード」や二胡の演奏、変面、中国雑伎など、
中国の人から見ても現代の中国にはない、古き良き中国らしさが残ります。
子どもが楽しめる手作りランタン体験や、
願いが叶うと言われるロウソク祈願四堂巡りも人気。
熱々の、角煮まん、ハトシ、マーラーカオも楽しみの一つです。
毎年旧暦の1月1日~1月15日
市の中心部から東へ10キロちょっと。
戸石町は長崎市を代表する漁港の一つがあり、養殖業が盛んです。
とらふぐ、かき、鯛、しまあじなどが養殖され、
全国各地へと出荷されます。
毎年11月末から行われる、戸石とらふぐ・かき祭りは、
歯ごたえ十分のとらふぐと、ぷりっぷりのかきを堪能できるチャンス。
驚くのはその価格。都心の高級店で食べたらウン万円はすると思われる
クオリティの料理が、信じられないような値段で楽しめるのです。
戸石で食べたら、もう他の場所には戻れません。
毎年 11月末〜12月半ば
(かき焼きは3月末頃までの毎週土日祝日に開催)
日本に生息する猫のしっぽの形は、
古来から、真っ直ぐ長いのが一般的です。
でも長崎にいる猫の約8割は先端が
曲がっているか、短いか、お団子のような形。
長崎で「尾曲がり猫」と呼ばれる猫は、
特にインドネシアに多く生息しています。
江戸時代、ヨーロッパとの貿易を担う東インド会社の
アジア支店があったのがインドネシア。
当時の船は木造で、積荷を食べたり、
船体をかじったりするネズミを駆除するために
船に乗せていた猫が、日本に住みついたと考えられています。
長崎市は文化や人だけでなく、猫まで世界から訪れていたんですね。
旅の途中で猫に会ったら、しっぽに注目です。
2022年で御年113歳。
高さ62m、アーム部の長さ75mの巨大クレーンは、
1909年の竣工後、戦火に見舞われ、
日々海風にさらされる過酷な環境下でも、今なお現役。
三菱重工業長崎造船所内で製造される大型のタービンなどを
船に積み込むために、月に10日ほど稼働しています。
その姿は輸出したスコットランドが賞賛するほど歴史的にも貴重な存在。
安全上陸上からは非公開ですが、
グラバー園や軍艦島クルーズ、遊覧船の船上から、
長崎の近代工業を支え続けるその勇壮な姿を近くで眺めることができます。
19世紀に、Dinosaurと名付けられたこの生物を、
龍になぞらえて日本語訳したのは、
長崎出身の古生物学者、横山又次郎でした。
それから120年余り。
野母崎にある長崎市恐竜博物館には、
オランダにある世界最大級のティラノサウルスの化石を
忠実に複製した全身骨格標本レプリカが
世界で唯一、展示されています。
世界新三大夜景に認定されている、長崎市の夜景。
周囲を山に囲まれているため、
いろんな場所から眺められます。
女神大橋の向こうの島々に落ちる夕日を眺めるなら鍋冠山。
港を中心とした長崎市の全景を見渡すなら稲佐山。
街の光を中心に、春には夜桜もいっしょに楽しめる風頭公園。
お好みに合わせて選ぶのもいいけれど、
せっかく来たならすべて登って見比べるのもいいですよ。
名前にトルコとついていますが、
トルコライスはトルコ料理ではありません。
その由来には諸説あるのですが、
中華のピラフ、和食のとんかつ、洋食のスパゲッティが
1つのお皿に盛られていることから、東西文化の交わるトルコのようだと、
トルコライスの名がついたと言われています。
さまざまな文化が交わってできた長崎の名物料理になったのは
偶然ではないのかもしれませんね。
坂の多い長崎市では、坂の上にある学校などに通うために、
市民はバスを利用します。
けれども帰りは下り坂なので、歩いて帰るのは楽ちんです。
そこでできたのが片道バス定期券。
つらい上り坂はバスで。下りの帰り道は歩いて。
長崎市民ならではの暮らしかたです。
江戸時代の終わり。
代官屋敷で働いていた三浦シヲという女性が、
唐人(もしくは唐通事〔中国語通訳〕)からもらった1粒のびわの種。
自宅の庭にまいたところ、長崎の海に囲まれた温暖な気候が幸いし、
実った果実は大きく、おいしさもすぐれていました。
長崎は今では全国の生産量の30%以上を占める「びわ王国」。
近年、より甘く、実の大きい新たな品種も加わって
日本中に出荷されています。
長崎土産はカステラもいいですが、
長崎通はびわゼリーを選ぶんですよ。
バスや車で、市内から国道499号線を海岸線に沿って南西へと走る。
軍艦島がまさしく軍艦のような姿に見えてくる頃、
小さな島が現れます。
恐竜博物館の沖に浮かぶ田ノ子島は、
大潮の干潮時には陸続きになる小島です。
その珍しさから、二人で渡ると想いが叶う、縁結びの島として知られています。
海の水が残ってできた潮だまりに残された小魚やウニと戯れたり、
おいしい海鮮を食べたりしているうちに、見事な夕日が海に落ちていく。
海に囲まれてゆったりと過ごす時間は、
けれどもあっという間に過ぎていきます。
眼鏡橋の隣には、橋を設計した中国の人の銅像が立っています。
めがね橋は、当時の日本人にはまだできなかった
最先端技術で造られた日本初のアーチ式石橋です。
有名なのは、川面に映るめがね姿だけが理由ではないのです。
中島川には17世紀以降、17〜18の石橋がかけられました。
めがね橋から川沿いを上流へ歩けば、今もたくさんの石橋に出会えます。
どこへ行っても同じチェーン店ばかりを
見かけるようになった世の中で、
長崎市はまだまだ個性豊かな個人店が多く存在しています。
それは、ちゃんぽん、皿うどんを初めとする
郷土料理だけではありません。
表では鮮魚を売っているのに、奥に入ると定食を食べられる魚屋。
種類も豊富でとっても新鮮なのに信じられない安さの回転寿司。
座ればお店の人や隣のお客さんが話しかけてくれる気さくな居酒屋。
地元の人たちが通うお店にこそ、長崎の食の神髄があります。
ひと口に長崎市と言ってもそのエリアは広く、長崎市民が日常的に楽しんでいる「ふつう」は深い。
長崎と聞いて思い浮かぶ代表的な観光地の他に、多彩な魅力がそろう長崎市の「ふつう」を加えれば、1日では遊び尽くせません。
長崎の「ふつう」に出会う旅MAPで、あなたの知らない長崎へでかけましょう。
外海・琴海エリア
中心市街地エリア
茂木・戸石エリア
伊王島・野母崎エリア