大雄宝殿前の庭には禁教時代の悲話が秘められた「じゃがたらお春」の石碑がある。
寛永年間(1624〜1644)、江戸幕府は禁教政策の一環として
混血児と日本人の母親をジャカルタ(じゃがたら)に追放した。
イタリア人航海士と日本人マリアとの間に生まれたお春は15歳で母、姉と共に追放され、
以来自分の想いを手紙に綴り、オランダ船に乗せて日本へ送ったのだという。
この石碑には、そんなお春を哀れんだ歌人・吉井勇の歌が刻まれている。
『長崎の鶯は鳴く 今もなほ じゃがたら文のお春あはれと』
もっと詳しく知ろう! 聖福寺
哀しいキリシタン史を物語るじゃがたらお春の石碑
鬼塀横の石段を上ると新たな長崎風景に出会う
大雄宝殿横には有名な鬼塀がある。これは聖福寺の末寺がなくなる際に、
廃材の瓦を積み重ねてできたもの。様々な瓦がはめ込まれた芸術品を眺めながら
墓域へ通じる石段を上りきり振り返ると、今では長崎港こそ見えにくいが
素晴らしい長崎風景が見渡せる。市街地を取り囲む小高い丘からの風景は、
それぞれ風情が異なっていておもしろいものだ。
大雄宝殿横にある鬼塀
長崎最大の梵鐘『鉄心の大鐘』
中門にあたる弥勒菩薩(みろくぼさつ/俗に“布袋さん”)と
韋駄天(いだてん)を祀る天王殿をくぐり境内へ。左側に鐘鼓楼がある。
納められた梵鐘は長崎最大のもの。現在は大晦日の除夜の鐘でのみその音色を聴け、
人々は親しみを込めて今も昔も『鉄心の大鐘』と呼んでいる。

市指定有形文化財:聖福寺の梵鐘
山門に掲げられた隠元禅師の書
山門には日本における黄檗宗の開祖・隠元禅師81歳の筆という
『聖福禅寺』の扁額が掲げられている。この山門の建築年代は元禄16年(1703)。
しかし、扁額には“寛文12壬子年(1672)”とある。年号を改めると創建以前だ。
これは、鉄心が隠元禅師にあらかじめ書いてもらっていたものだと
考えられているのだそうだ。
他の唐寺とは趣が異なる山門
映画『解夏』の舞台・聖福寺
長崎出身の歌手・さだまさし氏が地元長崎を舞台に描いた小説『解夏( げげ)』が
映画化され、長崎の随所で撮影が行われた。その際、ここ聖福寺は主人公の幼い日の記憶や、
『解夏』という言葉の意味が明らかになる重要な場所として登場している。
とても美しく描かれているため、実際に上映以降は『解夏』の舞台として訪れる観光客が
急増したという。聖福寺へ訪れる際は、ぜひ映画を観てから!