私学、いわゆるミッションスクールとは、キリスト教団体が異教徒の多い国に
布教の目的で設立した学校のこと。各国から派遣された宣教師達にとって、
長崎は古くからキリスト教徒の子孫が多くいるいわば聖地。
そのため明治期、東山手の丘にはアンドレ神学校や
ガールズ・トレーニング・ホームをはじめとした多くのミッションスクールが建てられた。
ここでは、外国人居留地時代の歴史資料やメソジスト派(婦人外国伝道協会)の宣教師が
使用していた家具、食器棚などを展示するとともに、当時東山手の丘に次々と創設された
ミッションスクールの歴史を紹介。現在全国に点在するミッションスクールの前身が
長崎にあることや、それに携わった人々、また建設までの流れを知ることができる。
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- 東山手十二番館(旧居留地私学歴史資料館)
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もっと詳しく知ろう! 東山手十二番館(旧居留地私学歴史資料館)
ここにミッションスクールの源流を発見!

当時の使われていた家具が配された室内
東山手十二番館横の洋館にも注目!
実は東山手十二番館のすぐ脇にある旧藤馬氏宅も明治初期に建てられた洋館。
表側に大小2室を配した小規模な住宅で、ベランダを有していないのが最大の特徴で、
南側入口には十二番館と同一の持送りが用いられ、領事館員の住宅など十二番館の
附属的建物であったと推測されている。
また、その奥には明治後期に建てられた木造2階建の活水同窓会館事務所がある。
立ち入り禁止なので外からしか見ることができないが、ベランダに面する居室の一方が
半八角形、もう一方が円形のベイウインドウを用いるなど外観に大きな特徴がある。
ベランダに面した居室は西日が差し込む位置にも関わらず全面に窓を設けてあり
眺望を最優先とした造りとなっているところが印象的。
現在は活水女学院の来客用宿泊施設として利用されている。
