当サイトでは、利便性の向上と利用状況の解析、広告配信のためにCookieを使用しています。サイトを閲覧いただく際には、Cookieの使用に同意いただく必要があります。詳細はクッキーポリシーをご確認ください。
同意する高島では、佐賀藩により19世紀はじめから商品生産としての採炭が行われていたが、慶応4年(1868)4月、グラバー商会との合弁事業として高島炭坑開発の共同経営が開始された。
その後、イギリス人技師モーリスを招き、明治2年(1869)4月、本村の海岸に近い低地に日本最初の蒸気機関による竪坑(たてこう)が開坑された。ヨーロッパから最新の技術と機械が導入された北渓井坑は、深さ約43メートル、日産300トンを出炭したといわれる。
その後、明治7年(1874)1月に官営となったが、同年11月には後藤象二郎(ごとうしょうじろう)に払い下げられ、明治9年(1876)まで稼働した。
我が国における初期の近代的炭坑施設として価値が高い。