中谷大輔さんによる、恐竜についてのコラムをご紹介します!
コラム筆者紹介

コラム筆者紹介

 

中谷大輔

長崎市 教育委員会 恐竜博物館準備室 学芸員

1984年生まれ、北九州市出身。山口大卒。2012年鹿児島大大学院理工学研究科博士後期課程単位取得退学。同年から佐賀県立宇宙科学館(武雄市)学芸員。2017年10月から現職

研究の面白さ ~探偵のように化石から推理~

研究の面白さ ~探偵のように化石から推理~

2021年10月29日に長崎市野母崎地区に恐竜博物館がオープンします。長崎市から発見された恐竜の化石を中心に、太古の長崎について学べる博物館として建設されます。

恐竜は子供が楽しむもので、大人が趣味や教養として学ぶようなものではないと思われているかもしれません。それでも私は、恐竜が老若男女、国籍や宗教の垣根を越えて、誰しもが親しむことができる珍しい存在であり、それらの専門的な知識が、趣味や教養として十分に楽しめるものだと考えています。そこで、今回は、私なりに思う恐竜研究の面白さについて紹介します。

古生物学者が行う研究は、推理小説に登場する探偵の推理や調査と似ています。化石となった生物の身元や類縁関係を調べ、現場の様子から遺骸が荒らされた痕跡がないか等を調べます。骨の表面に残された傷跡や病気の痕跡を通して死因を推定したり、現場周辺で発見された他の動物の歯の化石から捕食者を特定したりします。

ただし、化石は断片的なものであることがほとんどです。身元や類縁関係が判明すればよい方で、その時点で分からなかったことは次世代の研究者に託すことになります。

例えば、恐竜と鳥の関係性を調べた研究があります。両者が類縁関係にあるという意見は150年ほど前から注目されていましたが、証拠が不十分とされてきました。しかし、25年ほど前に、羽毛の痕跡が残った恐竜の化石が中国で続けて発見されました。これにより、現在では鳥が恐竜の生き残りだと広く受け入れられています。最近では、鳥の生態を参考にして、恐竜の生きていた様子を解明しようとする研究も増えています。

一見して、恐竜の研究は終わりの見えない謎解きのようですが、一つでも革新的な発見があれば、劇的に進展するという醍醐味(だいごみ)があります。さらに、革新的な発見をする人は必ずしも研究者ばかりではありません。偶然見つけた化石により、昨日まで恐竜に興味がなかった人が、最先端の研究の中心に躍り出てくることさえあるのです。

このような面白さを研究者だけで独占するのではなく、長崎市の恐竜博物館を通して、少しでも伝えていくことができればと思っています。

※令和2年12月3日 長崎新聞掲載

考古学と古生物学

考古学と古生物学

 「大昔の生き物のことを研究しています」と私が言うと、「考古学が専門なんですね」と言われることがよくあります。おそらく、大昔の事を調べる学問として、考古学が最も馴染みのある学問なのだと思われます。

確かに、考古学は大昔の人々がつくりだした文明や遺跡等を研究する学問です。日本では社会や歴史の一部として、文系のイメージが強いかもしれません。しかしながら、大昔の生き物を研究する学問は、生物学や地学に関係が深く、古生物学と呼ばれます。そのため、私は高校や大学、大学院で理学系の分野を専攻してきました。 現在、これほどまでに古生物学の認知度が低いのは、古生物学者による周知不足によるものなのかもしれません。

恐竜が好きだったが、高校や大学で文系コースを選択していたため、恐竜博士になることを断念したという話を何度も聞いたことがあります。もちろん、本人の問題ではありますが、古生物学の認知度が高ければ、そのように後悔する学生の数は減らせたかもしれません。2021年10月に長崎市の野母崎にできる恐竜博物館では、恐竜のことが好きな子供たちに古生物学のことを知ってもらい、進学の際の参考になればと思っています。

※長崎ケーブルメディアTVガイド9月号掲載

恐竜展の集客力

恐竜展の集客力

博物館に勤める職員の間では「恐竜展を開催すれば必ず入館者数が増加する」ということが真しやかに囁かれています。また、昨年の夏に国立科学博物館で開催された「恐竜博2019」には約68万人が訪れ、その年の博物館や美術館等で行われた展覧会の中で最も多かったとする調査結果も出ています。コストや会期の違い等から、費用対効果としての比較はできないのですが、昨年開催されたサザンオールスターズのコンサートの集客数(22公演で約66万人)をも上回る数字で、恐竜が集客力のあるコンテンツだということは間違いないようです。

このことは、裏を返せば経済活動に与える影響が大きいことを示しており、博物館だけでなく、参画企業にとってもメリットが大きいと考えられます。長崎市の野母崎地区に2021年10月に開館する恐竜博物館は、国立科学博物館のような大規模な施設ではないのですが、そのような博物館で開催された企画展を誘致できる企画展示室を備えています。感染症対策等の考慮すべき事項が多い現状ではありますが、様々な企業と連携しながら、私も来館者満足度の高い企画展の開催に貢献できればと思っています。

※長崎ケーブルメディアTVガイド10月号掲載

龍の街 ~〝恐竜の名付け親″は長崎出身~

龍の街 ~〝恐竜の名付け親″は長崎出身~

長崎市ではあらゆる所で「龍」という文字を見かけます。一番多いのが、坂本龍馬に関するものです。ほかにも、長崎くんちの龍踊り(じゃおどり)や川原大池(宮崎町)に伝わる阿池姫(おちひめ)伝説の龍、龍が空けた穴とされる蚊焼町岳路地区の龍穴など、「龍」の文字が身近に感じられる街なのかもしれません。そんな龍の街で育った長崎人が「恐竜」(恐龍)という言葉を生み出したことをご存知でしょうか。

「恐竜」は、1841年にイギリスの解剖学者リチャード・オーウェンによって提唱された「Dinosauria」を語源とする訳語です。「Dinosauria」には、ギリシャ語で「恐ろしい蜥蜴(とかげ)」という意味があることから、「恐蜥(きょうせき)」や「恐蜴(きょうえき)」と訳されたこともありました。しかし、現在では恐竜と訳すことが一般的になっています。

最初に「恐龍」と訳した人物は、長崎出身で「日本の古生物学の父」と呼ばれる横山又次郎(1860―1942年)とされています。江戸時代、出島で阿蘭陀通詞をしていた横山家の分家7代又次右衛門の次男として生まれました。長崎市で過ごした時期の記録はあまり残っていませんが、幕末期の「英語伝習所」を源流に1874年~77(明治7~10)年に存在した「長崎英語学校」(県立長崎西東高、西高の前身)に通っていたことがわかっています。

その後、上京し、旧東京大学を卒業。明治政府の農商務省で地質調査に従事した後、ドイツへ留学し、最先端の古生物学を学んだとされています。同時期のドイツにいた森鴎外とも交流があったとされています。帰国後、東京帝国大学の教授として、後進の育成に努め、多くの書物を残しました。

「恐龍」という言葉は、95(明治28)年に発行された横山教授による著書「化石学教科書・中巻」に登場するものが、最も古い記録とされています。現在、私たちが恐竜に対して、神秘的に感じる魅力は、横山教授により採用された「龍」という文字による影響なのかもしれません。そして、横山教授がそのように訳した背景には「龍の街」の影響が少なからずあったのかもしれません。

近年、長崎市や西海市では恐竜の化石が次々に発見され、来年10月29日には長崎市野母崎地区に市恐竜博物館がオープンします。このことから、横山教授が日本に伝えた「龍」を私たちの街で見かける機会がこれまで以上に増えていきます。

※令和2年11月5日 長崎新聞掲載

ジュラシックパークの効用

ジュラシックパークの効用

恐竜映画の金字塔とされる「ジュラシックパーク」は、卓越した映像技術で世界中の人々を驚かせただけでなく、随所に見せるマニアックな演出で恐竜ファンをも唸らせてきました。特に恐竜ファンの間で語られるのが、第1作目終盤で、ヴェロキラプトルという小型の肉食恐竜が、キッチンに逃げ込んだ子供たちを扉の小窓から覗き込むシーンです。このシーンが秀逸とされるのが、恐竜の息によって小窓が少し曇るところにあり、変温動物と考えられてきた恐竜が一定の体温を保ち、温かな息を吐くことができたとする仮説をさりげなく表現しているのです。

 この映画の上映時に小学生だった私は、このことに気付けませんでしたが、恐竜が怪獣とは違い、科学的に証明される生き物だと感じたことは覚えています。現在、「ジュラシックパーク」に魅了された子供たちが古生物学者となって世界中の博物館や大学に勤めています。おそらく、この映画がきっかけとなって、研究者を目指す子供が飛躍的に増加した結果なのだと思います。

2021年10月29日には長崎市恐竜博物館が開館し、2022年夏にはジュラシックパークの最新作が公開されることから、恐竜博士を目指す子供たちが増えるのではないかと期待しています。

 ※長崎ケーブルメディアTVガイド11月号掲載