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同意する建物は、彫溝がなく柱間が大きいトスカーナ風列柱のベランダの中央に、切妻(きりづま)屋根のペディメントを上部に持つポーチがあり、軒高が高い威厳のある姿です。幕末から明治時代(1868~1912)に建てられた洋風建築の中では、規模が大きく、格調も高い建物です。主屋は木骨石造の桟瓦(さんがわら)葺きで、北・西・南面に石敷のベランダを廻しています。イギリス人の設計と思われる平面図が遺っています。
イギリス人のオルトは日本茶の輸出で莫大な利益を得、自らも日本茶の製造工場を経営しました。オルトが退去した後は、1879年12月に創立された活水女学校(かっすいじょがっこう)が1882年まで仮校舎として使用しました。のちにF・リンガーの長男のフレデリック・エラスマス・エドワード・リンガーが1940年2月に56歳で亡くなるまでこの邸に住んでいました。