龍馬とグラバーのエピソード集

長崎を舞台に明治維新を導いたといわれる二人の活躍。その接点と秘められた交流エピソードを探ってみましょう!
龍馬が初めて長崎を訪れたのは元治元年(1864年)の2月。外国連合艦隊の長州への報復攻撃に対する調停のため神戸から長崎へ向かう勝海舟に随行してのこと。長崎海軍伝習所や神戸海軍操練所などで教官を務めた海舟は海洋学と航海術の師でもありました。これが後の亀山社中の設立や海援隊につながっていくのですが、既に開港していた初めての長崎では居留地での建設ラッシュが始まっていて、文明開化の灯りが眩しいほどに光り輝いていました。龍馬にとって見るもの体験するものすべてが初!宿泊先の福済寺では大男の龍馬と小柄な海舟が相撲を取ったとか。龍馬のワクワク感が伝わってくるエピソードですね。
長崎四福寺のひとつである福済寺には昭和54年、戦争の犠牲者を弔うために建立された34mの観音像があります。また、このエリアには長崎の四福寺のひとつ、聖福寺も。境内にはじゃがたらお春の碑、末寺の瓦を埋め込んだ瓦塀などなど見どころの多い唐寺です。さらにキリシタン弾圧の際に多くのキリシタン信者が投げこまれたと伝わる南蛮井戸が残る本蓮寺も近くに。勝海舟が海軍伝習所で航海術を学んでいた頃に寄宿していた由緒あるお寺です。
JR長崎駅、路面電車の「長崎駅前」、「桜町」停留所からも近くて便利ですので、当時の龍馬が歩いたであろう道すじを散策してみてはいかがでしょう。
福済寺
1649年開創。創建には長崎在住の唐人が多く尽力した。1864年には幕府から派遣された勝海舟に同行して龍馬が初めて長崎を訪れ、宿泊。
(所在地)長崎市築後町2-56
聖福寺
聖福寺
1677年開創。中国でおめでたい果実とされる桃の浮彫が多く施されている。1867年、ここで土佐藩参政・後藤象二郎と紀州藩勘定奉行・茂田一次郎が「いろは丸事件」の談判がおこなわれた。
(所在地)長崎市玉園町3-77
本蓮寺
本蓮寺
1620年開創。前身は長崎三大教会の一つ、サン・ジョアン・バブチスタ教会とサン・ラザロ病院。キリシタン弾圧の悲劇を今に伝える。
(所在地)長崎市築後町2-10
観光丸
観光丸
長崎海軍伝習所の練習船として、安政2年(1855年)にオランダから幕府に贈られた。当時の姿に復元されて現在は長崎港でクルーズ船として活躍中。観光丸による長崎港クルーズについてはやまさ海運(株)まで。
(問い合わせ)095-822-5002
 
  •  三菱の創始者・岩崎彌太郎の弟・彌之助とグラバー。 彌之助はグラバーを三菱の相談役として招いている (グラバー園HPより)

    三菱の創始者・岩崎彌太郎の弟・彌之助とグラバー。 彌之助はグラバーを三菱の相談役として招いている (グラバー園HPより)

土佐藩の商社「土佐商会」の責任者は、後の三菱財閥の基礎を築いた岩崎彌太郎。
龍馬とは同郷で、ビジネスマンとしては龍馬をはるかに凌ぐ力を持っていたようです。
グラバーの事業を引き継いだり、グラバーを三菱の顧問とするなど、彌太郎とグラバーは生涯を通してビジネスパートナーでした。
この頃、彌太郎は龍馬と給料の額で揉めています。勤勉な彌太郎と磊落な龍馬。
もっと出せ、いや出せない。そんなセリフが聞こえてきそうですね。
~長崎の紅灯の巷で豪遊?龍馬とグラバーの花街巡り〜
土佐海援隊の龍馬の給料は何と50両!この金額には今でいう交際費の要素も入っているようで事実、龍馬は花街「丸山界隈」で大いに羽を伸ばしたとも伝えられる。もちろん売れっ子芸妓との艶聞もチラホラ。
グラバーも自宅での園遊会やパーティとは趣の異なる花街遊びはそこそこお気に入りだったのではなかろうか。貿易商で「清風亭」の女将でもある大浦慶は、二人の共通の"年上の女友達"。龍馬とグラバーが連れ立って花街遊び…は大いにありえたことだろう。

~ビジネスでも一致した二人の感性~
射利(利益)という言葉が好きだった龍馬。さすが豪商「才谷屋」の分家に生まれただけあって、人が利益分配の原則に沿って動くことを看破。個人の集まりが国。ならば射利で人は動く。国も動く。これは故郷を遠く離れた異国で、ビジネスで自己実現を果たしたグラバーと共通する考えだったのでは。二人が意気投合し、熱く語り合う姿が見えるようだ。
史跡料亭 花月
史跡料亭 花月
長崎県指定史跡。寛永19年(1642年)に創立した遊女屋「引田屋」の庭園内に、文政元年(1818年)頃造られた茶屋。大正時代の引田屋廃業後、その建物、庭園、茶屋の名称を一体とした史跡料亭として現在に伝承されている。屋内の床柱には龍馬がつけたといわれる刀傷が残るなど、歴史的にも名高い人物が出入りしたことを物語る痕跡も。随所に和洋中の様式が取り入れられていて建築学的にも貴重な建物である。
(所在地)長崎市丸山町2-1
(問い合わせ)095-822-0191
長崎検番
長崎検番
日本三大遊郭の一つとして語り継がれる丸山遊郭。その中でも最大最高級の妓楼であった「松月楼」の建物を譲り受けて今に伝わる長崎検番。戦後の最盛期には100名いた芸妓も今は20名ながら、華やかな往時を想いながら見学に訪れる人が後を絶たない。
(所在地)長崎市丸山町4-1
(問い合わせ)095-822-0168
梅園天満宮
梅園天満宮
元禄13年(1700年)創建の丸山町の氏神様。創建者の災難の身代わりとなった天神様をお祀りしている。丸山の遊女たちもよく参拝したといわれる。入口付近に、なかにし礼氏の小説「長崎ぶらぶら節」の舞台になったことを記念した碑が建っている。
(所在地)長崎市丸山町2
(問い合わせ)095-822-8888