被爆後の平和活動

よみがえる長崎の街から、恒久平和への祈りを捧げる
原爆投下後の長崎の街は焼け野原となり、こののち70年の間は、草木も生えないだろうといわれました。しかし、約1カ月後には、かすかに草木が芽吹き、虫たちの姿もありました。そんな生命の息吹に、絶望の淵にあった人々は生きる希望を見出しました。やがて人々は、壊れた建物の木材などを集めて小屋を建て、住み始めます。被爆後の翌年、1946年(昭和21)には市営住宅も建ち始め、街は徐々に活気を取り戻していったのです。
  • 原爆によるやけどから、「水が飲みたい」とさまよい歩きながら亡くなった方々の冥福を祈る「平和の泉」

    原爆によるやけどから、「水が飲みたい」とさまよい歩きながら亡くなった方々の冥福を祈る「平和の泉」

  • 「平和祈念像」の右手は原爆の脅威を、左手は平和を、右足は被爆直後の静けさを、左足は救われた命を表し、軽く閉じた目は犠牲者の冥福を祈っている

    「平和祈念像」の右手は原爆の脅威を、左手は平和を、右足は被爆直後の静けさを、左足は救われた命を表し、軽く閉じた目は犠牲者の冥福を祈っている

平和公園に込められた思い
原爆による恐ろしい体験をした長崎市民は、平和への強い願いを持ち、「平和は長崎から」を合言葉に、国際文化都市を目指したまちづくりが始まりました。
1951年(昭和26)には「平和公園」ができ、公園に一角には「国際文化会館(現在の原爆資料館)」を建てて、原爆資料を展示し、原爆の恐ろしさと平和の尊さを訴えています。1955年(昭和30)には、世界中の平和を願う人々の寄付金によって、公園のシンボルとなる「平和祈念像」が建てられました。
  • 8月9日には鎮魂の祈りと核兵器廃絶の願いを込めて「長崎の鐘」が鳴らされる

    8月9日には鎮魂の祈りと核兵器廃絶の願いを込めて「長崎の鐘」が鳴らされる

  • 平和公園に捧げられた千羽鶴

    平和公園に捧げられた千羽鶴

8月9日は「ながさき平和の日」
毎年8月9日には、平和公園で長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が行われています。この慰霊式典は、もともと被爆後生き残った人たちが原爆で亡くなった家族、友人たちを偲んで、街のあちこちで行われていた慰霊祭が始まりでしたが、1948年(昭和23)8月9日に長崎市が主催し、爆心地松山町で文化祭と慰霊祭が行われ、この時、市民代表による平和宣言が初めて行われました。翌年の1949年(昭和24)の慰霊祭からは、戦争の悲惨さ忘れずに、恒久平和への願いを世界へ向けて発信する市長による「平和宣言」を発表しています。