世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」その他の構成資産

平戸・佐世保・五島エリア・天草地方にある構成資産
  • 世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」マップ
  • 旧野首教会
  • 頭ケ島天主堂
  • 原城跡
12の資産で構成される「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」。そのうち平戸・佐世保・五島エリア・天草地方の9つをご紹介します。
◆長崎市以外の構成資産の詳しい情報はこちらもご覧ください◆
  • 安満岳から伸びる尾根に挟まれた谷状の地形が特徴的な春日集落

    安満岳から伸びる尾根に挟まれた谷状の地形が特徴的な春日集落

  • 古来から山岳信仰があった安満岳へ向かう道は、潜伏キリシタンの信仰の道でもあった

    古来から山岳信仰があった安満岳へ向かう道は、潜伏キリシタンの信仰の道でもあった

平戸の聖地と集落(春日集落と安満岳)
日本古来の自然崇拝に重ねて、自然の山や島などを崇敬することで、潜伏キリシタンが自らの信仰を密かに続けた集落です。指導者の家の「納戸」と呼ばれる部屋に信心具が伝承され、平戸島の安満岳や禁教期以前にキリスト教徒の墓地があった丘などを聖地として崇拝しました。聖地は今なお崇拝され、禁教時代の独特の景観をとどめています。
  • 平戸島北西岸の沖合2㎞に位置する中江ノ島は、「お水取り」の儀式が行われる聖地

    平戸島北西岸の沖合2㎞に位置する中江ノ島は、「お水取り」の儀式が行われる聖地

平戸の聖地と集落(中江ノ島)
禁教時代初期に平戸藩によるキリシタンの処刑が行われた記録が残る中江ノ島は、長崎地方西北部の平戸島北西岸の沖合2㎞に位置する、長さ約400m、幅約50mの無人島です。殉教地として潜伏キリシタンが密かに崇敬しました。また、岩からしみ出す聖水を採取する「お水取り」が行われた聖地としても崇められ、禁教期の固有の信仰形態を色濃く残しています。
  • 1908年、竣工の旧野首教会は、設計・施工にあたった鉄川与助にとって最初の煉瓦造教会

    1908年、竣工の旧野首教会は、設計・施工にあたった鉄川与助にとって最初の煉瓦造教会

野崎島の集落跡
禁教期に外海から海を渡ってきた潜伏キリシタンが移住し、神社の氏子となることによって神道への信仰を装い、密かに潜伏キリシタンとしての信仰を続けた集落跡です。野崎島の潜伏キリシタンは、キリスト教解禁後にカトリックへと復帰し、2つの集落のそれぞれに教会堂を建てました。
  • 1902年竣工の黒島天主堂は、煉瓦造および木造、切妻造、瓦葺きの三廊式バシリカ型教会堂

    1902年竣工の黒島天主堂は、煉瓦造および木造、切妻造、瓦葺きの三廊式バシリカ型教会堂

黒島の集落
19世紀半ばに平戸藩が黒島の牧場跡地への耕作移住を奨励したのに応じ、島外各地から黒島へと移住した潜伏キリシタンが信仰を継続しようとした集落です。表向き所属していた仏教寺院で密かに「マリア観音」の像に祈りを捧げつつ、既存の仏教集落からの干渉を受けず、信仰を継続することができました。解禁後はカトリックへと復帰し、禁教期に宗教儀礼が行われた水方屋敷を「仮の聖堂」とした後、島の中心部に教会堂を建造しました。
  • 1919年に竣工した頭ケ島天主堂は、鉄川与助の設計施工による地元の石を使った石造の教会

    1919年に竣工した頭ケ島天主堂は、鉄川与助の設計施工による地元の石を使った石造の教会

頭ケ島の集落
仏教徒の開拓指導者の下、無人島であった頭ヶ島へと入植し、閉ざされた環境で密かに信仰を継続した潜伏キリシタンの集落です。解禁後はカトリックへと復帰し、海に向かって開かれた谷間の奥に仮の聖堂を建てた後、地元で産出する砂岩を多用した教会堂に建て替えました。
  • 鉄川与助の設計で1918年竣工した江上天主堂。リブ・ヴォールト天井やロマネスク風の窓がある木造教会

    鉄川与助の設計で1918年竣工した江上天主堂。リブ・ヴォールト天井やロマネスク風の窓がある木造教会

奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)
禁教期に外海の潜伏キリシタンが移住し、既存の集落から離れた海に近い谷間に居を構え、僅かな農地や漁業で生計を立てながら、自らの信仰を組織的に継続させた集落です。解禁後はカトリックへと復帰し、湧水が豊かで防風に優れた場所に、江上の風土的特徴とカトリック教会としての西洋的特徴とを融合させた木造の教会堂を建造しました。
  • 解禁後に建てられた旧五輪教会は、外観は民家のように見える日本家屋だが、内部はゴシック様式になっている

    解禁後に建てられた旧五輪教会は、外観は民家のように見える日本家屋だが、内部はゴシック様式になっている

久賀島の集落
禁教期の潜伏キリシタンが外海から移住し、在来の仏教集落から離れた場所に集落を作る一方で、漁業や農業においては仏教集落の住民と作業を共同で行うことで互助関係を築き、密かに信仰を継続させた集落です。「信徒発見」の後、久賀島の潜伏キリシタンは最後の弾圧を乗り越えてカトリックへと復帰し、各集落に新たに教会堂を建造しました。
  • 「島原・天草一揆」の舞台となった原城跡

    「島原・天草一揆」の舞台となった原城跡

原城跡
禁教初期に島原と天草のキリシタンが蜂起した「島原・天草一揆」の舞台となった城跡です。キリシタンによる一揆は江戸幕府に大きな衝撃を与え、その後2世紀を越える海禁体制を確立するとともに、宣教師不在の下で潜伏キリシタンが、自分たち自身で信仰を続けていく契機となりました。原城跡からは多くの人骨や信心具などが発掘され、禁教期の弾圧の壮絶さを物語っています。
  • 禁教期には絵踏みが行われた庄屋役宅跡に、解禁後、﨑津教会が建てられた

    禁教期には絵踏みが行われた庄屋役宅跡に、解禁後、﨑津教会が建てられた

天草の﨑津集落
アワビやタイラギの貝殻内側の模様を聖母マリアに見立てて崇敬するなど、漁村ならではの信仰形態が育まれた集落です。キリスト教解禁後はカトリックへと復帰し、禁教期に密かに祈りを捧げた神社の隣接地に教会堂が建てられました。