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文化財

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- 東山手・南山手
国指定重要文化財
建物は、彫溝がなく柱間が大きいトスカーナ風列柱のベランダの中央に、切妻(きりづま)屋根のペディメントを上部に持つポーチがあり、軒高が高い威厳のある姿です。幕末から明治時代(1868~1912)に建てられた洋風建築の中では、規模が大きく、格調も高い建物です。主屋は木骨石造の桟瓦(さんがわら)葺きで、北・西・南面に石敷のベランダを廻しています。イギリス人の設計と思われる平面図が遺っています。 イ…
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国指定重要文化財
イギリス人のフレデリック・リンガーは、はじめはグラバー商会で働いていました。1868年、29歳の時にイギリス人のホームとホーム・リンガー商会を設立しました。1940年の閉鎖までの約70年間、外国貿易や商社代理店、お茶の加工、ガス等幅広い事業に従事し、長崎の産業や経済に大きな功績を遺(のこ)しました。 この家は、木造で外壁は石造、平屋建てで屋根は桟瓦(さんがわら)葺きです。3面に角石の柱を配し…
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市指定有形文化財
この7棟の洋館群は、明治20年代後半(1897年前後)頃にまとめて建設されました。 東山手の最下部の西向きの急斜面地を上下2段に分けて造成されており、狭い土地に7棟もの建物が建っているため、居留地(きょりゅうち)内の他の宅地に比べて建物が密集しています。 7棟の建物の共通点は全般的に多く、中でも、内側・外側ともに質素に作られており、欄間(らんま)などに中国風の意匠が見られるなど擬洋風建築(ぎ…
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国指定史跡
大浦天主堂境内は、元治2年2月(1865年3月)、浦上の潜伏キリシタンが、ベルナール・タデ・プティジャン神父に自らの信仰を密かに告白した、キリスト教史上に名高い「信徒発見」の場所である。この「信徒発見」は驚きを持ってヨーロッパに伝えられるとともに、後世に語り継がれている。 敷地内には、大浦天主堂をはじめ、旧羅典神学校など幕末から大正期に建設された施設4棟が現存している。大浦天主堂境内は、禁教…
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市指定史跡
スコットランド人トーマス・ブレイク・グラバーは1859年長崎に来ました。1861年にはグラバー商会を設立して貿易をし、造船、炭鉱、製茶事業などを行うことによって、日本の近代化の進展に貢献しました。一方で、武器、弾薬、戦艦などの販売を通じて、政治改革を目指す藩(薩摩藩・長州藩・土佐藩)を支援し、幕末から明治時代へと時代が転換するころの政治情勢に深くかかわりました。1897年以後は東京に引っ越し、1…
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国選定重要伝統的建造物群保存地区
日本は1858年、アメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスの5箇国と修好通商条約を結びました。東山手地区は、この条約によって設けられた長崎の開港場の旧居留地(きょりゅうち)のうち、大浦川(おおうらがわ)右岸の丘陵の一角にあります。 居留地とは、外国人の居住や生活のために指定された地区のことです。長崎では、出島より南側の海岸を埋立て、背後の丘陵を含めて造成され、1860年から貸し渡し、1…
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国指定重要文化財
1858年、アメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスの5箇国との修好通商条約が結ばれた後、長崎は開港場として自由貿易を開始し、外交事務が始められました。 この建物は英国領事館として、上海のイギリス人技師ウィリアム・コーワンの設計に基づいて、長崎市大浦町の後藤亀太郎(ごとうかめたろう)が施工して、1908年に完成しました。 主屋は煉瓦造の2階建で、1・2階ともに正面・両側面の3面にベ…
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国指定重要文化財
イギリス人のトーマス・ブレイク・グラバーは、1859年9月に上海から長崎に来て、グラバー商会を設立して貿易を行いました。はじめは住まいを転々と変えましたが、景色が美しい南山手のこの地に、接客を主な目的とした木造の洋館を建てました。この建物は日本で最も古い木造洋風建築で、屋根は桟瓦(さんがわら)葺きです。解体修理のときに発見された大工の墨書によって、1863年に完成したことが確認されました。のちに…
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国宝
江戸幕府が1858年に5か国と自由貿易の条約を結んだことによって、長崎はその貿易港の1つとされた。そのため、長崎に外国人居留地が造成された。この教会堂は、在留外国人のために建設されたものであり、国内に現存する最古の教会堂である。 直前に列聖されたばかりの「日本二十六聖殉教者」に捧げられた。設計指導はフランス人宣教師のフューレ、プティジャンの両神父で、施工は天草(現在の熊本県)の小山秀(こやま…
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国指定重要文化財
1873年、明治政府のキリスト教禁教令廃止を契機に、大浦天主堂のプチジャン神父は羅典神学校設立を計画し、1875年に完成した。1926年に浦上神学校ができるまでは、神学校の校舎兼宿舎として使用された。その後、司祭館や集会所にも使用され、1930年頃になって1階の間仕切(まじきり)を撤去して広い部屋をつくり、更に3階を改造して学生の寝室とした。 設計はフランス人のド・ロ神父が行った。構造は骨組…
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県指定有形文化財
大浦天主堂に先立って建設された初代の司祭館を建て替えたのが現存遺構である。設計は晩年のド・ロ神父、施工は教会建設で有名な鉄川与助が担当した。大正4年(1915)の竣工。当時は司教館であったが、昭和35年(1959)に長崎司教が大司教に任じられたことに伴い大司教館となった。しかし昭和37年からは長崎大司教座聖堂浦上天主堂に移されたため、大浦教会の主任司祭館となり、旧長崎大司教館と称されるようになっ…
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国指定重要文化財
東山手12番地に建っているこの建物は、1868年の建設と推定される初期の洋風建築の代表例で、東山手地区では最も古い洋風住宅です。この建物が建てられる直前まではプロシア領事館がありましたが、新築後はロシア領事館となっていたことが分かっています。その後、アメリカ領事館や宣教師の住宅などとして使用され、1914年には土地、建物ともに学校法人活水学院に譲渡されました。1976年には、建物は長崎市に寄贈さ…
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国選定重要伝統的建造物群保存地区
長崎市南山手地区は、東山手と同じ居留地であって、主として住宅地として使われていた区域です。長崎湾を見下ろす、眺めのよい丘の上にあります。 主として居留地の頃に建てられた建物と工作物などが一体となって歴史的な町並みを形成する範囲として丘陵の南山手町の大部分と、海岸寄りの小曽根、松が枝町を一部含む地域を保存地区の範囲としています。 南山手の北寄りには、大浦天主堂、旧羅典神学校があり、その南に…
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国指定重要文化財
香港上海銀行は、横浜、神戸支店に続いて1896年に長崎支店を開設しました。外国銀行の、長崎支店第一号です。この建物は、明治~昭和初期(19世紀後半~20世紀前半)にかけて日本の国内外で活躍した異色の建築家、下田菊太郎(しもだきくたろう)が設計した建物であり、1904年に完成しました。 長崎市の洋館群の中では最も大きい建物の一つです。1階部分を連続アーチのアーケードとして、2・3階部分にコリント…
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国指定重要文化財
長崎港は江戸時代(1639~1858)にも日本で唯一の外国との窓口として開かれていましたが、開港後も貿易港として重要な位置を占め、税関が置かれました。 この派出所の建物は1898年に新築されました。庁舎は煉瓦(れんが)造り、平屋建(ひらやだて)で、正面の両端に三角破風(はふ)を見せ、中央部にはアーチ型の出入り口を開き、海側の正面性を重視した建物です。全面中央部には広い土間(どま)の検査場があ…