卓袱料理の「卓袱」とは、約360年前に中国の広東、東京(トンキン)地方、現在のベトナム方面から長崎にやってきた人々によって伝えられた言葉といわれている。
1571年(元亀2)ポルトガル船が初めて入港して以来、ポルトガル人など、いわゆる「南蛮人」と呼ばれたヨーロッパの人々は、1633年(寛永10)に、鎖国令が出るまで、自由に来航し、長崎の町家などに自由に宿泊していた。
1600年(慶長5)頃からは、唐船も来航するようになり、1689年(元禄2)に唐人屋敷が完成するまで、中国の人々も、同じように市内に雑居。
そんな海外との交流のなかで、南蛮料理が長崎の一般家庭に伝わり、現在のように料亭で振る舞われるご馳走へと変化していった。
卓は「食卓」、袱は「テーブルかけ」という意味で、朱塗りの円卓を数人で囲み、一つの皿に盛られた料理を直箸(じかばし)で取り分けて食べることが流儀。これが、いわゆる「おもやい(分け合う)」の雰囲気を醸し出し、和やかな場を演出する。また、乾杯より先に、主人の「御鰭(おひれ)をどうぞ」という一言から始まるのが決まりで、これは「お客様一人に魚を一尾使いました」というおもてなしの心が込められている。最初に出る、鯛の鰭が入ったお吸い物の御鰭と、最後に出る梅椀と呼ばれるお汁粉のみが一人ずつの器に盛られ、それ以外の料理は、刺身、豚の角煮、酢の物、揚げ物など、全て大皿や大鉢に人数分まとめて並び、それを各自取り皿2枚に取り分けて食べる。一つの食卓に数人分の料理をまとめて提供する卓袱料理は、給仕が簡単で合理的ということもあり、長崎の家庭で歓迎され浸透していった。また、貿易港として町人も多く、中国人やポルトガル人、オランダ人など異国の人々も町を行き交っていた長崎では、身分や文化の違いの垣根なく、食卓を囲み親交を深めるスタイルが受け入れられ、卓袱料理が普及する理由の一つともなった。長崎にもたらされた卓袱料理は長い間に和食や洋食の影響を受け、互いに混じり合い、和・洋・中のミックスとなった、まさに長崎らしい究極の郷土料理といえる。


ながさき食べ歩きガイドブックは、長崎市コンベンション協会が制作している長崎市内を食べ歩くために、とても便利なポケットガイドです。
こちらでは、そのガイドブックのデジタルブックを閲覧することができます。




