長崎市の歴史
キリスト教~弾圧の哀しい過去と奇跡の復活
日本二十六聖人殉教地(西坂町)
古くからポルトガル貿易港として栄えた長崎の町は、全国でもいち早くキリスト教の布教がなされた所。
しかし、豊臣秀吉が1587年に禁教令を発布すると、西坂の丘で二十六聖人の処刑が行なわれる。彼らは、京都・大坂・堺の市中を大八車でひきまわされた後、陸路長崎に送られ西坂の丘で処刑された。この事件は、日本における最初の大きな殉教事件であると共に、その後続く壮絶な迫害と殉教の歴史的幕開けでもあった。
しかし、その時代を乗り越えた後には奇跡とも呼べる感動的出来事が起こる。国宝・大浦天主堂の正式名は「日本26聖殉教者天主堂」。殉教した二十六聖人へ祈りを捧げるためにフランス人神父によって建てられた。そしてこの教会は浦上地区に潜伏していたキリシタンの子孫が、1865年、約300年ぶりに名乗りをあげた信徒発見の地でもある。この出来事は世界宗教史上類い稀な奇跡だと全世界に伝えられたのだった。