長崎の旅 POINT4 長崎の歴史を紐解くと、日本の歴史が見える!

キリシタンたちの遺構 長崎の信仰の歴史跡へ

1543年、ポルトガル人が種子島に漂着し、1549年にはフランシスコザビエルによって、日本にキリスト教が伝えられました。キリスト教は長崎で繁栄しましたが、1587年から禁教の動きが強まり、厳しい弾圧が行われました。こうした中でも、密かに信仰を守り続けたキリシタンたち。やがて1859年に長崎が開港し、フランス人宣教師によって建てられた大浦天主堂にキリシタンたちが訪れ、信仰を告白。これが「信徒発見」です。信徒たちは、250年もの長きにわたって、密かに信仰を守り続けてきたのです。

【出津教会堂と関連施設】 貧しい人々のために尽くしたド・ロ神父
出津教会堂 出津教会堂 1882年、貧しい人々のために資材を投じて尽くした、マルコ・マリ・ド・ロ神父の設計施工によって建てられた白亜の教会。神父がフランスから取り寄せた鐘が、朝夕に美しい音を響かせます。さだまさし原作の映画「解夏」の撮影地としても有名。
大野教会堂 大野教会堂 大野は、平戸領主の弾圧によって長崎に亡命したキリシタンゆかりの地。ド・ロ神父の設計・指導によって出津教会堂の巡回教会として建てられました。
【大浦天主堂と関連施設】 志を貫いた26聖人に捧げるために
大浦天主堂 大浦天主堂 1864年に建築された、現存する日本最古の教会堂建築。教会建築としては、唯一国宝に指定されています。西坂の丘で殉教した26聖人に捧げられた建物。「信徒発見」の舞台として、世界的に名高い教会です。
日本二十六聖人記念碑 日本二十六聖人記念碑 豊臣秀吉によるキリシタン禁止令により、1597年2月5日京阪地方へ伝導していたフランシスコ会宣教師6人と日本人信徒20人が処刑された丘。それから100年目に、二十六聖人等身大のブロンズ像嵌込(はめこみ)記念碑と記念館が建てられた西坂公園ができました。

世界に開いたたった一つの窓・出島

出島は、鎖国時代の約200年間、日本で唯一西洋に開かれていた貿易の窓口でした。19世紀、島内には住居や料理部屋、蔵、番所な ど49棟もの建物があり、現在そのうちの25棟を復元させるための事業が進んでいます。明治期にその役割を終え、陸地の中に埋もれ、人々の記憶からも消え かけていましたが、今から約60年前に長崎市が出島の復元に着手しました。

出入りが許されたのは遊女のみ 出島では、どのような暮らしが繰り広げられていたのでしょうか。オランダ人は、夫人を同伴することや日本人女性と結婚することが許されていたが、出島でそれはNG。そんな中、唯一出島への出入りを許されたのは「オランダ行き」と称する丸山町や寄合町の遊女のみでした。
シーボルトと遊女のロマンス オランダ人と遊女とのロマンス秘話で有名なのは、シーボルトとお滝さん(楠本タキ)とのロマンスです。お滝さんは日本人妻となり、娘のイネが生まれています。グラバーも日本人の妻を娶り、日本に子孫を残しています。そんな国際的なロマンスが繰り広げられた出島なのです。

当時のロマンスが偲ばれるライトアップされた出島
当時のロマンスが偲ばれるライトアップされた出島

幕末に熱く燃えた長崎から討幕への道

  • 【風頭公園 坂本龍馬之像】
    長崎は幕末の舞台一つでもあります。司馬遼太郎著の『竜馬がゆく』には、坂本龍馬が「長崎はニッポンの希望じゃ」と語る場面があり、その言葉が文学碑になっています。龍馬を中心に、薩摩、長州、土佐、肥前の士がグラバーのもとで最新の武器を手に入れ、討幕への一大勢力が動いていったのです。
  • 風頭公園に立つ坂本龍馬之像
    風頭公園に立つ坂本龍馬之像
  • 龍馬のぶーつ像
    龍馬が作った日本初のカンパニー・亀山社中130周年を記念して作られた「龍馬のぶーつ像」

はじめての長崎 盛りだくさんの長崎の旅は、まずこのポイントを押さえよう!

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