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シーボルトが薬草園を作った場所には15分の1に縮小した出島の模型が設置されている。現在復元中の出島はこの模型同様に1820年代の出島がモデル。 現在薬草園跡には、シーボルトがオランダに持ち帰った植物が里帰りして木々を繁らせているので注意深く見てみよう。 また、出島史料館本館横には東南アジアの島々に自生するナンヨウスギ科の常緑高木“デジマノキ”がある。この木は川原慶賀が描いた出島の絵には描かれていないことから、幕末の頃インドネシアのバタビア(現在のジャカルタ)から持ち込み植樹されたものだといわれているのだが、このデジマノキを挿し木した子どもも、薬草園跡スクスクと育っている。


出島電停からすぐの場所にある一番船船頭部屋は、オランダ船の船長が貿易の期間に滞在していた部屋。室内にはオランダやバタビア(現在のジャカルタ)から持込んだ家具や船長の日用品を展示しているのだが、2階に展示されているベッドに注目ほしい。身体が大きなオランダ人のベッドにしてはとても小さいのだ。これには2つの説があり、彼らは襲撃防止のため横向きに小さくなって寝ていたから、またはオランダからの習慣で寒さゆえに丸まって寝ていたからともいわれている。

出島で唯一出入りを許された女性は「オランダ行き」と称する丸山町や寄合町の遊女達だった。出島の橋を渡ったこの遊女達は「唐館行き」(唐人屋敷へ行く遊女)に比べ格が低かったが、商館長イサーク・ティツングが太夫格(上級)の遊女を招いてからは太夫格の遊女も出入りするようになったのだという。
オランダ人と遊女のロマンスといえばシーボルトと其扇(そのぎ/楠本タキ)がすぐに思い浮かぶが、シーボルトは長崎の町に往診に出掛け、民間人の治療にもあたっていたため、実はお滝さんは遊女ではなく2人の出会いは出島以外だったという説もあるようだ。
出島貿易の代表的な輸入品の一つは砂糖。出島に住むオランダ人達の遊びがそのまま日本に伝わったのはビリヤードとバドミントンだ。そして将軍吉宗の洋学解禁で蘭学がブームになると、シーボルトなどの蘭学者に教えをこおうとする向上心に燃える人々が集まり、長崎は新知識を吸収する場となった。
また、今では日常的に使うガラス、カメラ、レンズなどのオランダ語も出島経由のもの。ゾウ、ラクダ、虎……出島動物園と称される程出島には多くの動物が渡来し全国へと渡った。これらを描いたのがシーボルトのお抱え絵師・川原慶賀。彼は江戸参府にも同行し膨大な数の絵で日本文化を世界に広めた。




